29.1.1 小樽は楽しい北の町

小樽は3度目とはいえ、道はまだ不案内。堺町通り西端洋菓子店にてカミサンを車から降ろし、私だけ小樽運河そばの駐車場へ。どこかで出会うだろう。私は骨董店探しへ。アイヌのものが欲しいが、なかなか見つかりません。今から札幌に戻ることを考えると気が焦る。骨董店前で合流して運河までそぼろ歩きを楽しむ。娘と孫とゆったり貴重な時間です。

28.12.20

台風の合間の北海道

しばらくぶりで、北海道へ行って参りました。台風往来のすき間に、また腎臓結石治療中、カミサンと娘と小樽、札幌、美瑛とドライブ。小雨ふる中、大急ぎの旅です。

娘とその娘(9か月)もおります。新千歳からレンタカーで小樽まで。余市までは、時間的にまた体力的に無理でした。平日でも、小樽は観光客はどうしてこんなに多いのか(自分もその一人)。目当ての洋菓子店は、夕方でもお客さんがいっぱい。わたし一人駐車場をさがしてウロウロ。カミサン達は目抜き通りをブラブラ。どこかで、行きあうだろう。

28.6.23

小佐木島のいいところ

がんばっている人がいる。島に来いと誘ってくれた区長さんご夫婦(と三原に住むというその娘さん)、バーベキュウを食べてけといってくれた元市役所のみなさん、プロジェクト2にお住まいの画家(苔のすばらしさを伝える)さん。散歩しながら姿を見せてくれた将棋の駒のようなスナガニ、砂浜のピンク色の貝殻、高速艇のガイドさん、船の発着時間を教えてくれた三原港の売店のおばちゃん、みなさんにありがとう。

2泊3日の旅の最後の三原での出来事が、最初の紀行文になりました。

28.6.22

小佐木島ってどこでしょう

広島県三原駅前より高速船で14分、カミサンと乗船。高速船乗り場でお父さんから「絵を見にくるかい」とお誘いを受けた。広島空港行きバス発車まで時間がある。それ行けって乗船。海のない栃木県人の私らには、船に乗ってどこかに行くという発想はとぼしい。十分にバスに間に合う。貴重な体験になりそう。

2015.7.30

異空間東茶屋⑧

金沢は四度目です。こんな町並みがあったとは知りませんでした。おもてなしボランテイアさんには、この町をかけがえのないものとして愛してなくてはできないことです。この町が好きだから、他からみなさんも寄ってくる。人の心を動かすパワーがある。

一つひとつのお店の間口に工夫を感じる。(茨城県の真壁のおもてなしとも、ちょい違う何かがある。)

カミサンは一軒のお店に入ったら20分はいる。私はかまわず、一人軒先さまよいを楽しむ。

ようやく合流して主計町へ浅野川を渡った。坂を登り柳宗理記念デザイ研究所へ。食器などの形や色に見入った。東京の日本民芸館がなつかしい。


2015.7.2

能登半島から金沢へ⑦

金沢東インターチエンジから東茶屋へ向かう。方向や距離感がアヤシイ。目についた駐車場に入り込む。まず気になった圓長寺の箱庭に誘い込まれた。仏様を回すのに力がいる。これをやなれば、ここまで来た甲斐がない。夫婦力を合わせた。

観光客が多くなってきたが、気持ちよく歩くことができる。このゆったりした時間を楽しむ。観光ボランティアの皆様が活躍している。姿があるだけで不安を消してくれる。この辺から私ら夫婦はいつものように離ればなれになるのはいつものことです。お互いに自由だ。私は知らないまちをブラブラしたい。町屋に不慣れな私は、入り込めない。ながめるだけ。それでも庭は小さくてもその時差的空間の存在感、その活用がすばらしい。面白い。タバコは吸えないよ。

2015.6.26能登半島から金沢へ⑥

朝8時、氷見の美しい町並みが名残り惜しいが、無料の能越道路を高岡へ向かい南下する。対向車も少なくドライブは快適です。(走ってる車は私だけの気分なり。)高岡城や鋳物の名産品とは次回に出会いたい。

高岡あたりから有料らしい。小矢部砺波ジャンクションから北陸道へ。まっすぐ飛騨方面へ少しでも行きたかったがここはグッと我慢。小矢部サービスエリアで一息し、お土産を自宅に送る。七尾と同じように私の好きな麺類もある。義経の俱利迦羅峠の勧進帳話しや松尾芭蕉往来の跡があった。思わぬところで旅は面白い。

アレッ金沢はもうすぐではないか。金沢市の東茶屋近辺にナビを設定した。金沢市内の道案内に、フッと不安が残ります。10時、私もカミサンもまだお腹はすきません。

2015.6.23能登半島から金沢へ⑤

和倉温泉のと楽での朝は朝4時起床。うっすら白けてきた。太陽は能登島の真上に上がった。(東と思っていた方角は南だった。)どうしようと、朝6時にホテル出発し、氷見市へ向かった。氷見の魚市場食堂が早朝朝から開いているらしい。運よく、七尾と高岡間の能越道路がつながったらしい。早朝のドライブは空いていて、また知らない道はドキドキ楽しい。

氷見の道の駅までひとっ飛びするも、何もない。足湯はない、お店もまだと、広い駐車場に車が数台のみ。氷見魚市場は近いはずが、何とも見つからない。と言いながら、氷見の街並を楽しむ。間口2・3間、同じような高さで瓦など黒っぽい装飾の総二階が軒を連ねて並んでおり、越中の海辺の雰囲気は美しいと思った。(この辺は冬の雷が横走りするとか)

エイッと、先ほど見かけた小川食堂に入る。朝7時頃、私は氷見ウドンを頼む。白魚のテンプラがいい。カミサンはブリの照り焼きかな。(味噌汁がナマス皿で出てきたのはびっくり)

 お話し好きなおばさんだった。

2015.6.22能登半島から金沢へ④

楽しみにしていた七尾の道の駅フィッシャーマンズは夕方6時にはほとんど店じまい、空いているお店は貸し切りなり、残念。浜焼がしたかったがしかたない。道の向こうに見えるソバ屋さんに入る。海鮮が希望のカミサンを伺いながらメニュウをみせてもらう。私はラーメンと豆腐丼(見るまでわからないのがいい)、カミサンはウドンに豆飯。ん~、七尾の味がする(気がする)。私が車を取りに行ってる間に店じまい。カミサンは外にいた。

和倉温泉街まで約8キロを戻る。お腹はいっぱいと言いつつ、二人で夜食用にパンを購入。ホテル売店でお土産をあさるが、購入せず。私はお風呂へ。海岸は目の前だった。裏道を探し出し、部屋へ戻る。ロケ隊が走り回っている。カミサンはいつものように、テレビを見てる。食べ歩き初日の夜は、ふけて行く。

 

2015.6.21能登半島から金沢へ③

和倉温泉街は、一つ裏通りに入れば子どもたちの遊ぶ姿が見受けられるのどかな温泉街。宿泊するのと楽倶楽部の裏手には運動場があり、その向こうは七尾湾、またその向こうに能登島大橋が見える。奥行きのある風景がいい。

のと楽で丁寧なフロントマンに案内されつつ、「館内でロケ中です」と説明を受ける。あの人は山村なんとか女優かと行きかう。撮影隊が走り回る。

まだ、夕方6時だと夕飯に七尾へ向かった。途中、児童館に駐車し一本杉通り商店街を散策する。店じまいの店が多いが、雑貨店で封筒を購入し、カミサンは昆布海産物店でいろいろとお買い物を楽しむ。ここで夕食なら道の駅はすでに閉店だから、道の駅前のお蕎麦屋さんがいいよと教えてもらう。私は海産物は尿酸値が上がってしまうので、麺類がいい。

 

2015.6.20能登半島から金沢へ②

のと里山海道を進み、千里浜なぎさドライブウエイを走る。今日は快晴、車を止め浜っ風が心地よい。のと里山海道はここから山間部に入った。制限速度は70キロか。徳田大津ジャンクションから和倉温泉へ向かう。まだ2時半、能登島大橋を通り道の駅のとじまへ。(この時点で夕飯は能登島で、明日の朝食は七尾市内でと考えていた。)

まだ時間がある。和倉を散策。青林寺と信行寺を拝見する。温泉街とは違った風情に浸った。

 

2015.6.19能登半島から金沢へ①

北陸新幹線で金沢へ。カミサンと2年ぶりの旅行です。カミサンは金沢は初めて。宇都宮を8時発して、金沢に11時頃着。大宮駅で、「大人の休日弁当」を購入し、車内で夫婦仲良く分けて食べよう。(私は、2年前の前回雪の越後湯沢で乗り換えたことがなつかしい。)荷物を預けて、さっそくバスで近江町市場へ。近江町食堂が空いていました。ブリの刺身、煮魚、味噌汁がうまい。(カミサンが食べたいものを2定食選択する。)

バスで駅に戻り、レンタカーで七尾へ向かいます。のと里山海道のはずが北陸道へ乗ってしまう。金沢森元インターで調整でき安堵。ナビがあっても分かれ道直前の判断が難しい。かほく市の高松道の駅で足湯につかり、海を眺めた。旅は快調です。

 

2014.6.27夢でも会いましょう⑨小樽から

快適なドライブでした。オホーツクの風を切り、知らない街を走る。まだ肌寒い北海道。楽しい仲間とそこにいる自分が楽しい。(高橋夫君は、まだ目が覚めず空港で待ち合わせ。)

小樽に戻り、いっ時散策。運河周りは人出が多い。外国人の団体もすごいね。台湾から旭川空港直通がきいているらしい。そろそろ電車の時間になりました。Y子さんと別れ、一電車遅らせて新千歳空港へ向かう。北海道にまた来られる日があるだろうか。郷愁に似た思いがする。北海道はボタンザクラが咲いていた。

(どこでもガラナ飲料を売っていた。宇都宮では、ほとんど見かけない。)

26.6.26夢でも会いましょう⑧札幌の同級生Y子さん

3日目は朝4時に起床。札幌に嫁いだ同級生Yから、「どこ行くの、車出すよ」とありがたいメールが昨夜着。実は旭川から美瑛へもレンタカーで行きたい気もしていたが、4人の計画は小樽方面。Yがホテルへガソリン満タンで来てくれた。「運転してね」ときた。はいはい、どこまで、余市まで。余市ってどこだべ。あっとウイスキーか。小樽市街地を抜けオホーツク海を右手に知らない町に向かう。いつも知らない町を歩いてみたいと思っています。

Y子さんの娘さんはスポーツ紙記者、まもなく結婚式を彼氏の青森で行うとか。その前に全仏オープンでフランス取材、忙しいね。

11時半、Y子さんのおなじみの柿崎食堂へ。お客さんいっぱい。この先は、積丹半島です。サバ味噌定食はうまかった。ミワッチは海鮮丼、やるね。それやると私は尿酸値高騰が心配。イカ焼きは柔らかくてホッカホカ。余市駅前の繁華街だな、ここは。

26.6.24 夢でも会いましょう⑦札幌モントレ結婚式

札幌の結婚式は会費制だった。祝義袋も不用。およそ食事代の他は、ご両家のご負担では、たいへんなことだと思います。他の三人が来ない。道に迷ってたとか。お疲れさん。

お料理もたっぷり。お昼に醤油ラーメンでちょうどよかった。私はキャンドルサービスから写真撮影にのった。新郎新婦のノリがいいから、雰囲気が最高です。お二人の出会いから、お友達から大波さざなみ十分わかった。北海道に来たかいがあったよ。

精いっぱいどう生きているか。人目なんか気にしない。どう向かい合うか、気遣いあうか、М君夫婦、万歳。

式の後は、時計台を横目にした後、市電乗車。ホテルへ。夜8時に寝てしまった。

26.6.20 夢でも会いましょう⑥札幌モントレホテル

二条市場の中華店でラーメンが昼食。M君の結婚式は午後3時半からだ。ここから歩いても30分はかからないはず。お店のテレビ前には、おばあさん、厨房の中はおじいさん。こんな札幌のひとときがいい。

モントレまで北へ一直線、多少寒いがまちのぞき散策にはもってこいである。

宇都宮の先輩から電話あり。「今、札幌なんです。」イヤー、気持ちいい。こんな会話をしてみたかった。

モントレは格式があった。出入り口がわからず、人についていく。裏口が正面みたいな、正面が非常口のような。中は古くていい。建物自体がアンティック。

中庭で式の真っ最中。早めに来てよかった。М君が宇都宮にいた時よりカッコいいぞ。

奥さんは同い年とか。М君に合うと、なぜか新沼謙二の「厚田村」のメロディを思い出す。

26.6.19 夢でも会いましょう⑤札幌場外市場

徒歩でやっとさがして場外市場へ。団体中学生が買いに走っている。にぎやかだ。まだ朝7時ですよ。他の3人との約束は8時、朝食はどこにしよう。焼き魚が楽しみ。自宅と娘宅と…お土産はどうしましょう。

十勝産各種豆がおいしそう。乾き物も好きです。目が移るよう。3年前の地震でお客さんは相当減ったとか、ある店主の話しに聞きこむ。3人と合流し無事朝食。

私は、もう一つの二条市場付近の骨董店に行きたい。ホテルに戻り、式服に着替え市電ですすきのへ。狸通りを抜ければ二条市場だ。暖かくなってきた。

目当ての骨董店は主人が飛行機で帰札幌中とか。がっくり。平戸焼猿置物や吸坂手徳利がある。店内は荷物が多い。アイヌ物もあった。

26.6.14  夢でも会いましょう④札幌

夕方6時にススキノ居酒屋で4人待ち合わせ。開店時間前にも人が並ぶ。予約頼んどいてよかったね。一気にイクラ丼の店で、ときたま盛り上がる。私は、トキシラズという鮭をいただいて満足。

明日は、朝8時に札幌市場場外で集合を打ち合わせ。

2日目、私は5時に起きだし、骨董市がある山の手町のお寺へ徒歩で向かった。小樽へ向かう国道と地下鉄の走る道路を間違えたようで、時間だけが過ぎる。ついにタクシーに乗り日登寺へ。カフェオーレボールを旭川の業者から購入して、手荷物満杯になった。さらに徒歩で場外市場に向かってみる。向かう方角は何となくわかるが、距離感がない。

 

26.6.11 夢でも会いましょう③札幌

狸骨董村では、狐猫の置物は江戸時代のものだという。どんな使い方をしたのか、高さ約5センチ、でも雰囲気たっぷり。こんな小さくても存在感のある骨董がいい。

アイヌ物が見たい。アイヌ盆があったが、持ち帰るのに思案。平戸焼の盃があったが店主が不在。

ホテルに行く前にもう一軒、以前にも寄ったことのある店だ。アイヌ盆、ナイフ、アイヌ人形(旭川焼かどうか)、ガラス玉(トンボ)がタップリ。「うちは新物はないよ」と、店主。益子焼の皆川マス女絵付けの土瓶あり。面白かった。

札幌市電でホテルへ、病院街のようだ。市電駅前がいい。

2014.5.23 札幌・夢でも会いましょう②

初日、時間通り4人集合しスタート。笠間saで休憩、スムーズに茨城空港着。

朝食にお蕎麦を食べ、機内へ。乗客は少なめ、向こうに着いたら昼食に何を食べようか。新千歳空港から、小樽線で新札幌駅で下車し、改札を出たところで焼き肉店へ。私はレバー焼定食腹七分目でいい。

外は桜花が散り始め、しだれ桜は満開のようだ。

地下鉄東西線で札幌へ、西11条駅でみんなとともに下車。ひとり徒歩で狸小路商店街の骨董村をめざす。5年前に来た時はなかったと思う。

あれ、台湾人かな、外人天国のようだ。狸小路の西はずれに骨董村はあったが、店主が不在が多い。明日の骨董市準備のため不在らしい。

 

 

2014.5.21 札幌・夢でも会いましょう①

ヨサコイ南君の結婚式のご招待があり、札幌に行ってきました。

宇都宮の仲間であるユウコさん、高橋夫婦の4人連れです。 

 

日程案 2014/05/09()

 

宇都宮発  800⇒茨城空港着1000

 

SKY791  茨城発11:15 新千歳着12:40 

 

⇒JR千歳線・南千歳駅~ 新札幌駅・昼食~地下鉄東西線~西18丁目駅ハミルトンホテル食事無し 

 

札幌市電・西15丁目~1.懐古堂アイヌ物拝見

2.アンティークモール狸小路骨董時代村でいろいろと拝見

※居酒屋、ラーメン横丁

2014/05/10()

午前 横山美術、昼食

午後 【式】みなみ君 ホテル・モントレ札幌

2014/05/11()函館本線 札幌発エアポート83号、9:13~   小樽着9:58着 荷物ロッカー入れ、骨董、運河、堺町通り

1400小樽駅発エアポート144号、14:04発函館本線~千歳線~南千歳駅・新千歳空港15:16着

新千歳発16:50 茨城着18:15

 ~北関東道~笠間休憩~宇都宮着2000頃 

 

といった、予定です。さて、どうなりますか。

 

 

 

 

 

 

 

2013 6 9 湯河原朝食・エボダイがうまい

万葉公園前からバスで明店前まで、無事帰還(200)

酒飲み組(長野・千葉・群馬)は、スナックへ。茨城・栃木は睡眠。が、午前零時にスナック帰りがやかましい。私は起こされ男湯へ。万葉公園の朝市が頭をよぎる。今度は眠れず、読書。

翌朝6時半に起床し朝風呂へ。最後の楽しみ朝食は745分から。エボダイ焼きがうまい。食堂その場で焼いたため、部屋中煙たい。群馬組は、早めに帰る。みんなダラリとする。従業員さんはみなさん、そつがない。駅前でワサビ漬けを買い、帰りの電車。東海道線で戸塚まで、戸塚で乗り換え、湘南ライン宇都宮行き午後145分着、徒歩で帰宅した。

 

2013.6.29 湯河原・万葉ほたるの宴 

ほー、ほー、ほーたる恋「ほたるの宴」で車から降りると、まずウチワが配られた。山道をたどり5分、だいぶ歩いたがみんなが歩くため戻れない。わずかに夜露にひたりながら、知らない人たちと集団で別世界に迷い混んだよう。湯河原ばんざい、湯河原がんばってるよ。

同時開催の花菖蒲展、山野草の斑入りドクダミ、風知草など、楽しませていただきました。(翌朝の朝市には、来られませんでした、残念。)

2013.6.22 熱海・湯河原へ⑦ほたるの宴 

旅館のゾウリをはいて歩いたため、少し疲れた。

6時一階の宴会場個室で夕飯、料理はこれまたぜいたく。栃木県ではお目にかかれない内容、人気ぶりがわかる。追加した牛肉やご飯(山形産米)もおいしい。

食後は、万葉公園の「ほたるの宴」へ、足は旅館車の送りでありがたい。夜8時半頃でも、なんだこの人出の観光客(と地元の皆さんか)。別世界にたどり着いたような幽玄さも感じる。夜店も楽しい。さすがだ、心地よい湯河原に来てよかった。

2013.6.21 熱海・湯河原へ⑥湯河原散策

旅館の部屋は二間続きで見晴らしがいい。露天風呂は屋上、男湯は地下。夕食は18時から、露天風呂へ入っても夕食まで時間あり、骨董散策へ。

湯河原商店街マップがあり。湯河原交番前から、ある古美術店まで徒歩10分。平戸焼扇形皿、伊万里コロ茶碗、丹波の山椒壺など見ごたえあり。東京からのお客がいるとのこと。店主は、益子焼なら加守田章二作品がほしいなどと言う。

東海道線と新幹線ガードを抜け湯河原小学校まで足を伸ばす。このへんは温泉街の雰囲気はない。夕暮れて来た。

しばらくバスを待ち、湯河原駅まで戻る(160)。奥湯河原までは行けず。

2013.6.15 熱海・湯河原へ⑤素顔美人三重さん 

湯河原駅着、駅前から海が見える。区画整理が済み、熱海と違う解放感がある。まもなく3時、ホームで千葉組の到着をうかがう。駅前で茨城組、長野組と合流。千葉組はホテルにすでに着いていた。

料亭小宿ふかざわは、駅から徒歩3分ほど、細かいサービスに評判の旅館のようです。三重さんを始め、すがお美人が多い。(飲み物や肉料理の追加など、三重さんが薦めるままに了解、男性の鼻の下が伸びざるをえない。、料理の量は女性向きだとのこと。)

 

2013 .6.13 熱海・湯河原へ④ 

湯河原の割烹旅館フカザワは午後3時チェックインとのこと。

熱海駅前の仲見世商店街と平和通り商店街をブラブラ、お猿の大道芸で時間をつぶす。熱海は家族連れやアベック、老若男女の人手がすごい。

かつて、宇都宮から熱海まで新婚列車があったとか。

熱海駅前のお店で、私の好きなサヨリの干物購入。隣りの小アジは、フライパンに少し油ひいて焼けとのオバサマ客の助言あり。どちらも小さめで荷物にならない。

熱海から東海道線で伊豆山トンネルを抜ける。この短い時間が、とっても貴重な気がする。今、ここに自分がいることに感謝する。

MOA美術館には、なかなか行けない。廃屋となったホテルは、きれいに片付けられていた。熱海サンビーチへ抜けたトンネルは、汐見洞という名だった。

 

2013.6.12 熱海・湯河原へ③熱海散策 

熱海銀座通りの夜の賑わいを想像しながら、糸川遊歩道を北上する。桜並木の風情を感じながら、駅への戻り道をたどる。そういえば、熱海の骨董店がこの辺に…、ONOBU店に行きつく。

多種目の品揃えの中から、盆石を一つ見つける。店主不在で値段が不明だが、私を呼んでいる。見る方向から観音様に見えたり、お地蔵さんにも見えたり。

温泉街のフリー客目当ての骨董店の存在も、何でも屋になりかねず、心持ちが難しい。

2013.6.10 熱海・湯河原へ②

一転びの元直しに昼食。熱海銀座にあるラーメンと餃子の「濱よし」へ。(隣りの洋食店も気になる。)

私は東京駅で駅弁済みだったが、懐かし中華そば+餃子セット950円にまた満足。栃木と茨城はお酒無用、長野は遠慮気味にビール付き(遠慮は口だけ、長野が今回の幹事なり。)

羽根が飛び出し中身がほんのり甘い餃子は絶品。他の家族連れの男の子が茶碗を落とすも、ご愛嬌。夜の銀座通りの雰囲気は、またきっと違うだろう。

熱海に足を伸ばしてよかったね。一般解放されたという起雲閣に寄りたかったいくぶんの気持ちも、坂道に疲れはて霧消する。

2013.6.9 熱海・湯河原へ① 

2年ぶりに大学レ組同窓会がありました。

9時宇都宮駅発で、東京駅に長野組と茨城組と待ち合わせ。踊り子109号で、この10番線ホームがなぜか見つからない。(茨城組も同じく悩んだ模様) 

お昼に熱海着、駅前の商店街やラーメン店を様子見し、トンネル抜けて海岸へ回るが、回り過ぎた。天日を浴び坂道くだりに早くも足にきた。一人がころびビン用ゴミ箱に当たり中身を撒いたとか。手のひらにコンクリート跡が残った。それ以上のケガなくよかったよ。 ぐるっとサンビーチ散策、無事お宮の松を見学した。

 

2013.3.16 兼六園と九谷焼⑧

金沢も3日目、ホテルで朝食。姉とは、ここでサヨナラ。

散歩がてら兼六園に向かいました。40年前こちらの売店で九谷焼の色絵金彩獅子を買いましたが、値段は変わりませんでした。兼六園を一回り、他にグループ客、団体客(中国人か)が おりましたが、この時期に雪のない兼六園も珍しいのではないでしょうか。

21世紀美術館は、リハビリ研修大会があり、また時間が早かったか一般入場はできないようでしたが、混ざりこんでぐるっと見学。

近くの骨董店に入りましたが目ぼしいものはありません。

美術館北側の九谷焼専門店で従弟が急須を購入した。(家族でケンカし、いきおい急須を壊してしまっていた。)いやはやなんとも

青粒急須セットが40万円、これは見ごたえがありました。

米原から東海道新幹線で帰る予定でしたが、やはり越後湯沢回りで早めに帰路につきました。北陸新幹線が金沢から西へどういうルートになるか、興味深いところです。(金沢の骨董店マップがあったのは助かりました。銅器や塗り物はあまり目に入りませんでした。)

2013.3.13 ブリとカワハギの刺⑦

109に入た姉が合流、ホテルにいた従弟も合流し、川端店はそれでなくても満杯の客で活気熱気の嵐、それに目の前の七輪がからだがほてる。

従弟はブリの刺身、カワハギの刺身で満足したようだ。金沢について真っ先に何がうまいか、旬かタクシー運転手に聞いていた。いとこ同士50年からの話しが金沢ではずむ。

武家屋敷手前の骨董店で見つけた鼈甲の煙草入れを見せた。いくらで買ったという。そんなヤボなことは聞くなよ。と…夜9時過ぎた、引き上げ時です。不足した下着を買ってホテルへ帰る。さて、明日の午前中は兼六園あたりを歩こう。

2013.3.12 川端鮮魚⑥

金沢駅で明日のキップを予約。駅から東横イン香林坊までのシャトルバスで15分です。

一休みして一番の繁華街だという片町一帯とタテマチ商店街を散策、目についた川端鮮魚店に入り込む。従業員もハキハキ生きがいい。

炭火焼き1600円コースを注文。ホタテ、サザエ、ハタハタ、ハマグリ、イカを焼く。いや、焼いてもらう。頼りない客に店員のマドカちゃんが張り付く。

貝から焼く、この説明書を読んでくださいと始めに言われた。荷物はカウンター下の箱へ、骨と貝殻はバケツへ入れる。

後から、姉と従弟が合流した。 

2013.3.11 金沢の葬儀⑤  

今回は葬儀に参列するために、金沢に来ました。

こちらでは焼香の前に名前を呼ばれてから、前に進みます。次に住職に礼、焼香は二度で額に手をかざさない(お線香は用いません)。供物は上下左右、対称的にきれいに並ぶ。本葬から金沢市斎場へ、浄めが済み夕方6時。

今夜の帰りはあきらめ、東横インに宿泊予約する。横須賀に帰る姉は、今夜の夜行バス22時発をキャンセルし、同宿することとした。

 

2013.3.10 金沢の骨董店④

金沢駅からバスで姉がホテル着。この金沢西アパホテルへ従姉の娘婿さんが迎えに来てくれた。金沢市内には同ホテルが複数あり、迷ったらしい。……

二日目ホテルで朝食、姉のため再度近江町市場へ。私は、珍味「干しクチコ」を購入。ナマコの卵巣らしい。香ばしい風味は、例えようがなくおいしい。 

時間があり、私は金沢古民芸会館に寄った。荷物にならない鹿角根付と薬サジを購入した。体育館のような倉庫のような骨董店です。

 

2013.3.8 新堅商店街・骨董通り③

まだ、時間がある。

タクシーを奮発して、金沢の骨董通りの新堅商店街へ行っちゃう。従弟はあきれ顔だが、無視。ここも半分の店が休みか、閑散気味。地元の赤絵の九谷焼や塗り物があります。

自分で楽しめる手頃な大きさの常滑急須と信楽宝瓶を購入、「可斗」の店主さまありがとうございます。壊れ物注意、手荷物が増えたら自宅へ郵送。

商店街を抜け、犀川の畔へ。東の山並が白い。運よく桜橋でタクシーを拾い、金沢西のアパホテルへ。ここで姉と合流するまで一休み。

2013.3.7 金沢近江町市場②

新幹線開通を前に、金沢駅前はその期待感でホテル建設ラッシュらしい。

宇都宮を745分発、1155分金沢着。旅の友(歴史小説)を忘れた4時間は長かった。朝食を食べてない従弟とさっそく駅東口のポルテ食堂街へ。 

ポルテを東に出ると、運よく骨董店があるも水曜日は休みらしい。

足を伸ばし、徒歩10分で近江町市場へ。海なし栃木県ではなじみの薄い、ノドグロ、イカスミ、カブラ寿司をさっそく自宅へ郵送。この日の夕方に後から来る姉の好きなボタ餅を買い、町角の喫茶店で一服した。

40年前、金沢に嫁いだ従姉に連れられて来られた近江町市場から、しっかりきれいに変身し会場図のパンフレットもあり、歩きやすく清潔な観光市場です。

2013.3.6 金沢へ①

石川県金沢市の従姉に用事ができ、急きょ金沢へ電車で向かいました。

金沢は3年ぶり、この時期の金沢はさぞや寒く、道路は雪でぬかんでいると思った。宇都宮から従弟と男二人旅、新幹線に乗り込んだ。大宮と越後湯沢と2回の乗り換えです。

群馬県から新潟県越後湯沢に抜けると雪国でした。雪降ろしの姿に、きびしい生活を感じます。村落は黒く見え、天地は真っ白。越後湯沢で約半分、金沢はまだ遠い。柏崎、魚津、高岡、富山といよいよ金沢です。

北陸新幹線ができるまで後2年とか。

 

2012.12.31釜山⑱チャン・ユンジャン

機内の友・中村半次郎は手放せない。機内食もほどほど、チャン・ユンジャンのヒットパレードを聞きながら池波正太郎の世界に浸る。チャンユンジャンのバラードが心地よい。釜山を離れる寂しさをまぎらわせてくれる。約2時間の飛行、成田の地が見えてきた。 

無事、税関を抜ける。まだ、お昼だ。帰り道は筑波辺りで、ラーメンかおソバか、江戸崎から牛久に回る。かつて圏央道ができる前によく通った道だ。

牛久で日本ソバ店に入いる。店内では数人のママギャルが騒がしい。ここは、日本の昼下がりであった。

圏央道を牛久から乗り込む。カミサンに運転交代、笠間まで寝てしまった。

宇都宮までトンネルは3ヶ所、夕闇から暗くなった北関東のドライブは、ほどよい疲労感。笠間ドライブインから運転を代わる。自宅まであと1時間である。

2012.12.30釜山⑰名残りの金海空港

8時、カミサンとタクシーで空港へ。カミサンの「エアポ-ト」の一言でタクシーは走り出した。空港着、15000ウオン。

まだ、時間あり。空港レストランでカミサンとレーメン注文。私はちょい甘辛いビビンネンミョン、カミサンはさっぱりムルネンミョン。なかなかおいしいではないか。

どうか帰りは、すんなりお願いします。トランクの重量を気にしたカミサンが、機内持ち込み(化粧品)でチェックあり。しばし、待つ。

出国検査から、カミサンは免税品受け取りへ行くも、シーラ免税じゃないでしょ。

私は最後のお土産のノリを購入。タバコはカミサンに任せた。 

帰りの機内は満杯(行きは半分ほどだった。)今度は、いつ釜山に来ることができるか。はや釜山が恋しい。トゥブ鍋が恋しい。

 

2012.12.29釜山⑯散歩は釜田市場

三日目早くも最終日、5時半起き、楽しみ朝の散歩までちょうどいい。

ホテルから10分余の釜田市場に向かう。外はまだ暗い。(釜山は日本より夜明けが一時間遅れ。) 

釜田市場は半年ぶり、これから活気が出てきそうな、エネルギーの貯まったこの雰囲気がいい。朝食は、ソンジクッパ(牛の血を固めた約4センチ四方のソンジの舌ごたえ、のど越しがいい。)5000ウォン。目印の店先の大鍋の湯気があったかい。汁飯の名のように、白飯をどんぶりに入れて食べます。最終日の朝は、これです。 

後は、市場内をブラブラ。パン屋さんも美味しそう、ついアンパンを購入。雑貨屋で麻の敷物も購入。 

西面のロッテホテルまで足を伸ばすと帰り時間がなくなりそう。鉄工所街を抜け、そそくさとホテルに戻る。

 

2012.12.27釜山⑮釜山の微笑み

ロッテ百貨店光復店では、閉店間際の雰囲気でデパ地下街を見はぐれた。

デパート前から、タクシーでホテルへ。いつもと景色が違うかなと思ったが、中央路から東城路周りだったようだ。

初日の6時間の遅れがなければ荒嶺山展望台にも行きたかったが、次回の楽しみにしたい。今は荷物の片付けが残された。昼間購入した鉄薬研の始末が悪い。どうしてもトランクの重心が取れない。

カミサンのトランクの重さを心配してる場合じゃなくなった。

一番好きなレーメンを、食べていない。(最後は空港で。)

2012.12.26釜山⑭光復ロッテデパート

海鮮チヂミ一枚で二人は満腹でした。1万ウォンですんだ。アジュマは、にこやかに笑い送り出してくれた。

今、夜8時。歩いて光復ロッテデパートへ向かいます。通りでは、まだまだ似顔絵屋は繁盛している。デパート1階ホールにはイルミネーション噴水が舞う。多くの観客が見とれ、買い物帰りか12月の夜の余韻に浸る。

土産のお茶などを購入する。今日からセールが始まっていたようだ。惣菜が値下げされている。どれもこれもおいしそう。ここでパンなど買うと、いつも食べ残す。

フードコートのメニューがおいしそう。

デパート屋上の庭園までエスカレーターで上がる。何人かが、時間を惜しむように散歩を楽しんでいる。

2012.12.25釜山⑬二人で1枚・半分こ

お隣りは男性中年二人、腰掛けるのにイスを動かしたら一人に接触、ケンチャナヨ。

注文の加減がわからないのに、ネギチヂミと海鮮チヂミを注文。緑豆をひく臼が回っていた。本日の役目を終えたのか、今は仕方なげに休んでいる。いつでも稼動します。付きだしのキムチと生タマネギがおいしい。

鉄板では、チヂミを二枚焼いている。うちの分かな。いや、向こうのお姉さんの分でした。よく見てたら二枚は上下で一枚分。けっこうでかいぞ。

ほかの客は、二人で一枚+お酒でほろ酔い。海鮮チヂミが出てきた。これで十分かもしれない。緑豆の香ばしさが伝わる。

鐘路ピンデトック店は、お酒もいけるらしい。

2012.12.24釜山⑫富平市場・鐘路ピンデトック

国際市場の入り口の交番前から西へ歩き、豚足通りから北へ富平市場へ入った。昼間は惣菜と海産物、服飾品・雑貨の山が並ぶ市場だ。

日曜の夜の喧騒、まだまだ釜山ロマンチックは続く。南浦洞とは違う世界が低く広くたたずみ、人を闇の中の赤ちょうちんの灯りに誘い込む。

緑豆チヂミの店があり、たいそうなにぎわいだ。アジュマがおいしそうに、また誇らしげにチヂミを焼いている姿がある。韓国人も日本人もない空間を、伝統と確かな味(食文化)が包み込む。このゆったりとした幸福的な時間をアジュマが作っている。約1メートル四方の鉄板の中ほどは、わずかにくぼんでおり、チヂミの回りにたらした油が、チヂミにほどよくからんでいく。今夜、釜山にいてよかったと思う。

(私のふるさと宇都宮のミンミン餃子や石田屋やきそば店と同じ時空があった。) 

 

2012.12.23釜山⑪クルスマス・イルミネイション

翌朝の散歩実施のため、一時間でいい、午睡したい。

時間通りにフロント集合。(いつも私が早い)

ホテル前からタクシーで再度南浦洞へ。南浦洞では、楽しみにしていたクリスマスイルミネーションの飾り付けが、思っていた以上にまぶしい。この寒さに町に繰り出す韓国人のパワーに圧倒される。

まず、釜山タワーへ行き、夜景を堪能する。釜山の街割りがよくわかる。(タワー従業員の多少のやる気のなさがやるせない。) 前日の土曜日は、舞台公演があったかもしれない。

タワーエスカレーター前の路上では、親父バンドが「釜山港へ帰れ」を演奏する。観客は約50人。目の前の演奏に、この寒さを忘れる。

交番前の交差点では子どもたちの合唱隊が頑張ってる。観客は約300人か、西洋人と東洋人が混在する。イルミネーションが素晴らしい。遊歩道の上に同じ高さで並行して飾り付けられ、幾重にも重なって見える。家族ずれやアベックが思い思いにプーズをとる。10件ほどの似顔絵屋さんブースが人気だ。みんな心躍っている。

2012.12.22釜山⑩5キロの鉄薬研をエンヤコラ運ぶ

二階喫茶店はサイフォンコーヒーが約三百円、おっかけカミサンのカフェラテは約四百円。南浦洞へ歩き百済サムゲタン店でゆっくり昼食、人参酒が付いてくるが二人してお酒は飲めない。(いつも残念な思い)

カミサンの方は、本体のサムゲタンどんぶりより取り皿の方が量が多いよ。

噴水池ンボからこぼれた歩道の水は凍ってます。あまりの寒さに地下商店街に逃げ込む。ここで私は毛糸の帽子を購入。

一軒の骨董屋をのぞき、鉄の薬研を購入する。薬研は5キロはある。もしかしてトランク重量超過か。どう日本に持って帰るか。骨董市で購入した白磁耳杯は、没収かもしれない。エエィ、みんなトランクへ。カミサンのトランクは、あてにできない。

次の地下鉄駅まで、この鉄薬研を持って歩く。母親土産でストールを買い、薬研を包みクッション代わりとした。 

この荷物を一旦ホテルに持ち帰る。カミサンとは夕方5時半にホテルフロント集合。

(この間、カミサンはロッテデパートへ行っていた)

2012.12.21釜山⑨ワイワイ国際市場

坂の途中、運よくタクシーを拾い国際市場アリラン通りへ向かうが、アリラン通りが地図を見せても伝わらない。甘川湾を望みながら、チャガルチ市場西側に出て、国際市場はまもなく。そこっ、そこでいいです。

昨夜の夕食予定だった炭火焼き肉店をいつのまにか通りすぎ、カミサン目当ての靴店を目指す。大覚寺の向こうだよ。そら、あった。

この靴店はオーダー注文のみに対応するとか、手軽に靴を買いたかったカミサンはあきらめがいい。あとは国際市場をブラブラもう一回り。引き込みがきついエリアあり。カミサンは、もう一つ目当てのフェース化粧品店へ。

この間、両替のアジュマの間をすり抜けて、私は喫茶店でトイレを借りて、一休み。店は二階にあり、窓際の席からは化粧品店は目の前。

前回は南浦洞に泊まりながら、国際市場は寄らなかった。古本街通りは今回はパス。国際市場の西にある、富平市場は今夜にしよう。

2012.12.20 釜山⑧甘川村・人と鳥

せっかくの渡航、釜山の歴史と文化にもふれてみたい。昼食までに時間はある。 

昭和20年代に、朝鮮戦争から疎開してきた、太極道信者の皆さんの暮らしがここにはある。家屋の屋上にある無数の鳥のオブジェが、人を村より高い空にいざなう。

カミサンと二人で民家の軒先を失礼します。迷路の道幅は50センチ~1メートルが多い。今はパステルカラーの軒先を重ねあい、向こうのダンダン畑で収穫を得る。

つつましく、限られた生活の中で生きて来られたことを推察する。

山の斜面に太陽の日差しはたっぷり。甘川湾の幸はある。

山のふもとのわずかな平坦地に、ややきらびやかな太極寺、周囲には市場、バスの停留場、小学校がある。

2012.12.19釜山⑦新しい町づくり、これからの文化づくり、誇れる故郷を作る意気込み、人を作ることへ。

次は、釜山の文化村甘川洞へ。タクシーの運転手にカムジョンドンではなく、カムチョンドンだと、言い直しを言われる。はいっ、郷に入っては郷に従う。

臨時首都記念館の前を南下する。いよいよ急坂の連続に入った。道は凍ってます。タクシーが滑り落ちないか。そこです。甘川小学校前です。

 

ここで、四百ウォンの自販機コーヒーで一服、ベンチがある。 

カミサン、「こんなとこ連れてきて…」の雰囲気が、「ここかわいい、写真撮って…」。私は「こっちこっち」と、狭い道に誘導する。狭い通路は若いアベックと三脚担いだカメラマンばかり。 

誘導案内板もトイレも増えているようだ。 

まずは、インフォメーションセンターで前回買い忘れた地図千ウォンを購入。日本語は一切なし。太極寺の説明をしてくれているようだ。

センターの屋上から四方を展望。甘川湾が見える。アベック男性がカメラのシャッターをきってくれた。(でき上がり良し、なかなかやるじゃん、思い出の写真ができました、ありがとう)

2012.12.18 釜山⑥九徳骨董市

次の九徳の骨董市へ、チャガルチ市場からタクシーで10分弱、口の中にはホシダコのほろよい甘さが広がっている。露店市は10店舗余。

木組み枕、鉄の仏像(お顔が朝鮮っぽい、脇侍がいる、気に入った)、磁器色絵人形(男女対)、墨壺(探していたものとは違うが、とりあえず)を、購入。値段が高そうだと、カミサンからストップがかかる。いいタイミングです、ありがとう、旅は道連れ世は情け。

キズはありますが、薄手の白磁耳杯がありました。自分で直すのが楽しみです。金直しか銀なおしか、どう直してみるか考えるのが面白い。

カミサンにも荷物を持ってもらい、次の目的地甘川洞へ向かいます。

2012.12.17 釜山⑤どうしても太刀魚

二日目は朝8時半に、ロビーでカミサンと合流。

昨日の送れた時間を取り戻すように、ホテル前から奮発タクシーで一気にチャガルチ市場へ。

凍った舗道にタコが並べられていた。売れ残りか、一匹が仕方なさそうにうごめく。(売り場から飛び出したかと思ったが、舗道上が売り場なんだろう。) 

朝は魚が食べたい。食堂街の一人オモニの目に吸い込まれ、ここでいい。タチウオがあればいい。魚は四匹、コンガリ焼かれています。サバ、赤魚、カレイ、そしてタチウオ。コルラ(瓶コーラ)も冷えてる。さりげないモヤシスープも暖かく、こちらの気持ちにやさしい。身と骨をはがすことも快感、おおぶりの切り身にかぶりつく。

他の客は、焼き魚の他に鍋をつっつき、朝から宴会だ。

一人一万ウォンでいい。コルラも千ウォン。 

トイレは2階で、外階段とつながっている。外では、凍って固まった魚を舗道にぶつけている。イカはヘラではがしている。乾物屋でホシダコを旅の友ツマミに購入、五千ウォン。こういうものは、お荷物にならない。

 

 

2012.12.15 釜山④夜の友「半次郎」

テジクッパで満腹のはずが、夜食用か朝食用か屋台でキンパを購入。

ホテルの部屋で一息し時計を見たら夜中2時。なんてこったい、私の生活リズムは崩れ去り…、これが一番こわい。 

夜の読書用の中村半次郎(池波正太郎)1ページも進まない。

明日は、ヘウンデ観光のつもり、パラダイス免税店の会員カードを取り寄せておいた。トヨコインホテル前からパラダイスまでバスの送迎あり。ヘウンデは次回の楽しみへ。

明日は8時半スタートと抑え気味なり。

 

2012.12.14 ロマンチック釜山③

税関通過、銀行で両替後、観光案内カウンターへ。

観光案内冊子「釜山びより」と「まるごと釜山」を手にすると、白タクシーオジサンが私のトランクを引っ張り歩き出す。まだ、情報収集がすんでない。

西面まで2万ウォンですか。予定を6時間も遅れ仕方ない、言うこと聞くよ。ロッテホテルでなくて、トヨコインですよ。

わかったか、わからないのか、洛東大橋を渡る。道は、線路脇の高架道路の下かもしれない。釜山のロマンチックは、ほど遠い。

 

ホテル18時チェックイン予定が23時着になっていた。夕食やエステの予約をしないでよかった。

今夜の夕食は、南浦洞国際市場で炭火焼き肉料理のはずが、西面テジクッパ店に。カミサンはテジクッパウドン、私は煮豚料理スユ。自分好みの味付けがいい。タマネギをアミや味噌につけると甘みが倍増。これだよ、やっとロマンチック釜山になってきた。

 

2012.12.13 釜山は遠かった②

大韓航空にやっとの思いで乗り込んだ。

依然スタートせず。ついに出発時刻は18:15から更に20:00に。

気持ちはすでに飛び立って、心はホテルにあります。

フライト時間は約2時間、ロマンチックなはずの夜間飛行が、機内食は気もおぼろ、乗務員さんのなぜか申し訳なさそうな姿に多少の不信感あり。

なんとか韓国演歌で気を紛らわせつつ、釜山の海のわずかな船灯りが見えたとき、あれ、今、自分はどこにいて何をしているのか、無の境地におりました。 

釜山金海空港の外は昨夜の雪が残る。ンンッさぶいよ、冷たいよ。

2012.12.10 また釜山です①

おいしい食事を期待して、カミサンと釜山に行ってきました。

ところが、成田空港に着くや14:05発大韓航空が4時間遅れとのことにアゼン。この時間をどうつぶすか、今夜の予定と明日の予定がもろくも崩れていく。今夜のチェックインは何時になるやら。搭乗口も不明。

ミールクーポンをいただき、まずは腹ごしらえ。

ヤンパチ気味に奮発して三崎寿司です。(シャリがおいしい)

まだ、4時間あり。日本ソバを食べる。(笠間サービスエリアでウドンを食べている。)

それでも、成田空港探検には、限界がある。

航空機機材の入れ替えとの説明でしたが、北のロケット発射への自制かとかんぐってみたり…、他にイタリア機も明朝に延期とか。 

 

2015.5.29

釜山⑰…8時半チェックアウト 

焼き魚の後の小雨は、思い出に残る小雨だ、心地よい。

ホテルに戻り16階のラウンジへ。アメリカンコーヒーを注文。

そぼふる朝の港町釜山の喧騒が、今すでに懐かしくなる。

 

8時半チェックアウト。ホテル一階駐車場のワゴン車内で待つ。

釜山西方のヨスで博覧会も始まり、また月曜日の雨天時は渋滞気味とのこと。早目に集合してよかった。

約30分で金亀国際空港に到着。朝食がまだの2人のために、3階のレストランへ。私は、旅のシメ(名残り)のレーメンを食べ、屋外で一服。前回は、ここで朝焼けを見た。

 

トランク内のライター、手荷物の水を撤去。帰りは90分の搭乗、手にした新聞は1日遅れでもうれしい。機内食のアナゴ飯は、ウッとして胸がつまり食べられない。

北関東は晴れらしい。帰路、どこで一服しようか。

2012.5.28

釜山⑯…チャガルチ焼き魚定食。

最終日朝6時半。T女が姿を表す。外はパラツキ小雨模様。ホテル前を地元の皆さんが闊歩する。行き先は目の前チャガルチ市場。目的地に近いホテルでよかったね。

 

焼き魚店が何軒かある。目当てのオバチャンの顔が見えず、目があったオモニ店へ。注文は、焼き魚ミックスでキマリ。2人前20000ウオンでいい。

アマダイ、太刀魚、カレイが大皿で登場。ジャコなどの付けだしが海っぽい。ンッ、太刀魚がうまい。皮がパリッと、中身はほんわかジューシィ。ステンレスの上で軽く油で揚げているかな。

ソウル東大門焼き魚とも違う。もっと早く来たかった。

気分よくついでに、隣の乾きもの店で、スルメ購入した。

今回の食ベスト3は、サムゲタン、生豆腐鍋、焼き太刀魚でした。

2012.5.27

釜山…⑮釜山タワー

買い物ばかりの外国旅行ではむなしくもあり、南浦洞から専用エレベーターで釜山タワー公園へ案内。エレベーター途中にも粋な喫茶店が見えます。たしか銭湯もあったはず。先ほど歩いた日本人観光客相手のお店あたりが、右手に見えます。

お釈迦様祭りの一環か、双龍や孔雀、孫悟空などのハリボテが内部からライトアップされきれいです。多くの地元の方が楽しんでおります。孔雀は口から火を吹く仕掛けなっており、その火を吹く間隔が一定でなく、意表をつくところがケンチャナヨ韓国らしい。しばらく現世を忘れた。

歩いて5分ほど、ホテルに戻り最終的な荷物まとめです。

明日は帰国ですね。朝6時半の集合で、チャガルチ市場で朝食に焼き魚定食の予定なり。

 

2012.5.26

釜山海岸通り⑭…広安里トキワ荘喫茶店

お腹はお豆腐でいっぱい。タクシーで西面から広安里まで、トンネル抜けて約20分。マップ通りの街並みは当たり前ですが、この当たり前がうれしい。曇り空だから夕陽は期待できない。砂浜でハシャグ免税店組にかまわず私は、スタスタ海岸通りを東に進む。お刺身ビルが前に立ち並ぶ。

免税店組は、犬にからまれたか。なんだか跳び跳ねているようです。浜辺で体操か訓練か。私は、広安里観光案内所でパンフをいただく。

目指すトキワ荘は、小さな店で、やっとたどり着きユッタリ漢方茶をいただく。

 

お土産物をみたいとT女。M女が南浦洞にあるという。ホテル街だ。もう少し早ければ、ホテル北側の国際市場にいくらでもあったか。

すでに夕闇。免税店組がキーホルダーなど見ている間に私は、他の店でリュック型カバンを購入、お金をホテルに忘れY女から40000ウォンを借入。面目ない。

2012.5.25

釜山⑬…ホテルで昼休みがっ

当初は、免税店組と正午にホテル集合し昼食の訳が、正午にエステ予約を入れてしまい、午後四時をホテル集合と再度約束することとなった。予定が役に立たず。

(エステは揉みっ返しがこわい。エステシャンに当たり外れあり。)

3時間ほど、空きになり、私はヒト汗流してベットで一眠り。 夕刻に広安里で、浜辺を散策して夕食する計画。

が、2時半に会計M女の電話で起床。エステ終了も買い残しがあり、また免税店に行くという。買い物ばっかりだと、百年の恋もさめるよ。余裕持って行動しましょう。(化粧品の買い物頼んだ私もいけないか。)

結局、西面ロッテ免税店前で合流。免税店組はコンビニオニギリの昼食だとのこと。お腹すいたらしいので、くってけ通りの生中豆腐鍋(辛くない、ビビンパップにかき回す)に案内。ご飯の上のくずれた目玉焼きのうまいこと。

壁はサイン落書きだらけ、私は、このラクガキ好きな韓国人(店も客も)の風潮がわからない。

甘川村のまちづくり手法に、どこかつながるのかな。単なるケンチャナヨなのか。

2012.5.24

釜山⑫…まちのレーメン

太極道(テグット)マウルとも言われる甘川村には、大きな太極道の立派なお寺がありました。このお寺は村の中心部の比較的平らな土地に存在してます。

ここを左に見て、本通りの商店街に戻りました。市場があったはずでしたが、疲れもあり気付かず。

まだまだ下り坂が続きます。このまま向こうに見える甘川湾に流れ出していくような坂道にレーメン(ネンミョン)の看板あり。時間は正午ちょい前、ちょうどいい。朝は軽めにすませてよかった。迷わずムルネンミョンを注文。麺が固めでいい。麺を切るハサミが小気味いい。私はレーメン好き。自分で麺を切りたい。まちなかの普段のおいしさを、他のお客さんと共有できたようなことがうれしい。

ンッ、この酸っぱさだよ。レーメン汁の砕かれた氷のひやっこさと、付けだしのコンソメ味のあったかスープの対比がいい。これが味わいたくて、また韓国に来てしまう。

2012.5.23

釜山⑪…甘川村

マウルに迷い込んでみるというのが、所期の目的でした。足のイタミも忘れて歩いていた。美しい景観づくりにかける、甘川村の関係者の皆さんのご尽力に深く敬意を表したい。一方、そこにいて毎日暮らしている住民の皆さんの生活との融合(ステキな関係)を継続していただきたい。

金海空港着陸前に、機内から釜山市内の同じような街並みが見えるらしい。実際、チャガルチ市場からも西に同じような街並みが見えた。(西面から東の山にも似た街並あり。)

甘川湾は、チャガルチ湾の一つ山向こうです。地下鉄で言えば甘川は1号線土城駅、骨董市は1号線東大新駅が至近です。

2012.5.22

釜山⑩…甘川文化村に包まれて

バス停から入り、インフォメーションセンターの「ハヌルマル」へ行きたい。この建物が分かりづらく、他の観光客の後をつける。

脇道どこではない。小道どこでもない。猫のヒタイほどの路地裏の階段と坂道を登りたどり着く。エェッここかな。住民の皆さんとはお互い言葉が不自由、挨拶だけは交換できました。屋上からはるか見渡し、全体の把握に努めた。

ここで、路地裏探究に精を出しすぎ、1000ウォンの地図を買いっぱぐれる。

 

進行方向の案内の矢印が無数にありますが、壁や建物を避けながら、つい雰囲気にものまれて、矢印を見落としがちになる。矢印は上下左右と奇想天外の方向をさす。何組かのアベックとすれ違いながら、また、わずかなバケツ畑の農作業をながめながら、また路地に差し込む陽光に日向ぼっこするハルモニに恐縮あいさつしながら、異次元空間に身を浸している。荷物を二つ抱え、約1時間の一生懸命な散策だった。甘川村は坂道の町、身軽にそしてできたらアベックで行きましょう。

2012.5.21

釜山⑨…甘川文化村へ

骨董品をエコバックに詰め込み、心地よい重みを感じながら、九徳野球場前から、タクシーで沙下(サハ)地区甘川(カムジョン)文化村へ。

甘川湾に流れ込む勢いで色とりどりのアートな家並が山の斜面に展開する。

2009マチュピチュプロジェクト、2010迷路小道プロジェクトで釜山に新名所が創造された。昭和20年代の朝鮮戦争避難民が、町を形成したとのこと。

ソウル中心部では今は見ることはできない雑然とした家並みをデザインし、芸術村に生まれ変えた。発想の転換かもしれない。日々の積み重ねが文化なら、まさしく戦後60年の暮らしが生きてきた文化村です。

 

タクシーは商店街の中、急な坂を上り詰め、、甘川小学校脇で下車、小学校の向こう東側は眼がくらむほどの急な下り坂である。二の足を踏みそう。

村の入り口は、手前のバス停が目印。日曜日アベックの姿が目立つ。観光バスもいる。村に踏み込む一歩に、さぁ胸がうずく。

2012.5.20

釜山ロッテ免税店の入り口は?⑧  

ロッテ免税店の開店は930分から、ロッテデパートの開店は10時から。免税店はデパートの中の8階、開店に時間差がある。さぁどこから免税店に入れるのか、ここでウロウロ。

私は免税店には行かないが、いざとなったらカタコト英語で聞くしかない。若い女性お二人から、ロッテホテルから入れると聞き出すことができ、ホッ。

 

免税店3人を置いて、私はタクシーで、九徳運動場の骨董市へ。雨ぎみだった前回より店舗数が多い。

はっと木彫厨子が目に入る。李氏朝鮮時代の風が吹く。雰囲気がいい、イタミもない。この大きさならトランクに入るぞ。

将棋に夢中でも店主か、こちらをチラッと見てくる。聞いたら値段は手ごろ。来た甲斐がございました。私の店で、しばらく楽しませてもらいます。

どうぞ将棋を続けてください。オジャマしました。

もう一店、菓子型にカエルが向かい合って二匹鎮座。時代不足も姿がユニークでいい。これも、しばらく愛玩しよう。

2012.5.19

釜田市場プラプラ⑦

釜山二日目、いかに有意義に過ごせるか。

骨董品の仕入れ、おいしい食事、韓国釜山の風土と人情にふれたい。その地の空気を知らないと、その地の品物は扱えない。こんなモットウでおります。

 

旅の楽しみは、まず朝の散策と朝食です。

地下鉄の切符購入方法を4人で確認、釜田市場駅までそれぞれ購入。(日本語表示画面からスタート、行き先方面の確認が大切。おカネは最後に投入。)

釜田市場駅まで、約20分。地元の皆さんになじませていただく。車内では、意匠の変わった帽子売りのアジョシが声を上げる。釜田市場駅地下商店街が300メートルほど北東に伸びている。

地上には、目の前にハナロマートと果物売りのパラソル、向こうに在来線の釜田駅と駅前交番、お風呂の煙突があります。

釜田市場の中央通りを東から西へ、西面(ソミョン)方面へロッテ免税店を目指します。朝食は適当にお粥などで済ませる。栄養士のT女は、調味料や食材に関心が高い。私はステンレスのシャモジ二本を購入、この肌触り感が幸せ気分を呼ぶ。

 

2012.5.20

南浦洞~チャガルチ⑥ブラプラ 

韓国で最初に食べた、ソウル麻浦の元祖サムゲタンより優しい味がする。卓上の塩とキムチで自分好みに調整できる。

サムゲタン鍋にアワビがまたおいしい。

一足先に会計し、近くのファミマで米ジュースを購入して一服。

初日の夜は、すでに8時、国際市場は暗く立ち入るには躊躇する。国際市場を右手に西へ進み、ロッテスーパーへ。

私は、お茶いろいろ、海苔、乾燥ウドン麺、モンキーバナナを買い込み、段ボールに荷造り。女性陣はゆっくりお買い物、付き合うオさんは、たいへん。 

最終電車に間に合うよう、オさんと別れる。

今回の会計役のH女がお焼き(1900ウォン)が食べたいと、BIFF広場に戻るが、目当ての店は閉店。他の店のお焼き、のり巻き、お餅で間に合わせ、何とか今夜のお腹は満足です。 

ホテルに戻り、早速お茶をいただく。明朝は、7時集合なり。

2012.5.19

ソウルサムゲタン⑤…うなるおいしさ

オさんは釜山から北へ慶州境のウルサン在住、釜山駅から在来線などで3時間かかるそうです。わざわざお出迎えいただき、恐縮です。また、あちらこちらへとお電話していただき、ありがとうございます。

何とか1時間○分後にホテルロビー集合し、夕食へ。

初日夜はサムゲタンと決めておりました。オさんの口利きで、「ソウルサムゲタン」へ。途中、翌日のエステ店を確認しておく。

釜山で最初のサムゲタンのお店というソウルサムゲタン店では、アワビ入りサムゲタンを注文。初めに人参酒で乾杯。わぁ、これです。韓国の味です。付けだしの玉ねぎのほんのり甘さがいい。キムチも甘くて、白菜がパリッ。

どのお店のキムチも特徴があり、おいしい。が、キムチも食べ過ぎると後で来ます、私はほどほどにします。

2012.5.18

釜山南浦~チャガルチ④

空港から約30分で、無事ホテル着。

さっそく部屋に荷物を置き、男同士オさんと私の用で地下商店街の骨董店へ。他の女性3人は化粧品店へ、一時間後ホテル集合約束。

目当ての骨董店は、土曜で早じまい閉店、明日に期待したい。

ついで釜山デパートの骨董店へ。ここも早じまい。他の骨董店ではアボジ3人が焼き肉で一杯夕飯中のところにお邪魔する。軽くのぞくつもりが、アレッ雰囲気ある李朝期の菓子型が目に止まり購入。日本人とみると、どうもぎりぎり高めの値段を言う。あまり高いともう来ないよ。

1時間では間に合わない、ホテルまで駆け足。

2012.5.17

金海国際空港③…アヤシイ運転手

不安定な空間を切り抜け、安心して睡眠。釜山まで2時間。機内は忙しい。

機内食は量がほどほどよい。

 

午後4時過ぎに釜山金海国際空港着、間もなく空港内でタクシーの売り込みに合うが決裂。ワゴン車タイプの大型を探すが、タクシー乗り場に大型は見当たらない。

韓国の知人のオさん(奥さんは宇都宮在住)の出迎えをいただいた(予定外)。タクシーには5人で乗る。釜山チャガルチのフェニックスホテルまで、二人目の交渉を30000ウオン(2100)でまとめる。一般タクシーなら20000ウオン程度だと思う。車はタクシーではない。運転手も運転手らしくない。名刺は、カラオケ店経営社長だった。何やらあやしいか。

帰国日のタクシー手配の話になる。自分は自宅から同ホテルまで1時間かかるという。そんなタクシーはないよね。日本人からむしりとるか。オさんもいてくれて、よかったのだろう。

 

2012.5.16

港町釜山へ②

北関東道は、茨城県岩瀬から笠間にかけての開放感のある好きな田園風景を抜けていきます。 車内は、キレアジのよい黛ジュンの歌声。

常磐道石岡辺りで一回休憩、牛久ジャンクションから圏央道、408号線で一気に利根川を渡れば千葉県、成田はもうすぐ。

 

慣れた駐車場に車を預け空港へ。自動発券機を助けていただき、無事大韓機内へ。

私たちは最後尾、トイレが近くていい。

と思いきや離陸間もなく、激しいユレにびっくり。隣りの席のメンバーの一人は初渡航、その心境はいかがだったかはわかりませんが、初回から可愛そうなことをしました。

前の背もたれの資料にソウルの骨董街と永川(ヨンチョン)の星の村の特集記事があり、楽しめました。音楽は、女性グループのテイアラ、機体も落ち着きホッと気を休めることができました。

2012.5.15

港町釜山へ①…持病の痛風

半年前から話を進めてきた釜山旅行前3日目に左足指先裏にイタミが発生、ふだんその対応はしておりましたが、プロ野球巨人×大洋ナイター戦(地元宇都宮清原球場開催)に出かけ、球場の階段の上がり下がりでイタミが増し、急きょ通院しました。

投薬で翌日にはハレがひき、ほっとしましたが、他のメンバーには、ご迷惑をお掛けしそうです。

メンバーには、会計係、運転補助係などの役割分担をお願いしました。

宇都宮から成田国際空港まで、140キロで2時間半の運転です。行けるところまで高速(北関東道~常磐道~圏央道~408号線)です。

 

天気予報では、釜山は2日目までは曇りと晴れ、3日目は雨天です。

さて、珍道中になりますか。

2012.5.9

陶芸仲間と釜山へ(日程案)

 

◇5月12日 8時半、クララ集合。成田駐車場予約済。

大韓航空KE716、成田発14:05、釜山着16:15機内食。

 金海国際空港 から2番乗り場…釜山駅行き一般リムジンバス5000

  ※時間節約でタクシー利用可

 

18:00頃着フェニックスホテル

釜山市 中区(チュング) 南浦洞5街(ナンポドンオーガ) -
부산시 중구 남포동5 8-1  TEL 051-245-8061   

 ※釜山地下鉄1号線南浦(ナンポ)駅1番出口 徒歩5分。

  

1830※ホテル周辺の国際市場、チャガルチ市場…

化粧品等買物、食事処など散策。⇒ロッテスーパー。

夜食候補:サムゲタン。

 

◇13日() 5:00起床⇒釜山タワー、日の出観賞。

 朝食:天安コムタン。(地下鉄 西面釜田市場)

 タクシー、800九徳運動場骨董市⇒930甘川文化村

 

【別働隊】ロッテ免税店9:30~11:00ロッテデパート8階、

 パスポート常備携帯。地下鉄で南浦へ、昼食

 ※12:00~13:30国際市場内エステ

 ⇒~釜山デパート周辺、地下商店街骨董店散策。漢方薬店。

光復ロッテデパート。

⇒16:00ホテル集合 タクシーで広安里へ(夕食、お茶、夜景)

 

 ※21:00ホテル戻り…帰国準備、荷物まとめ

 

◇14日()起床7時、朝食、出発9時。⇒タクシー移動。

KE715、釜山発10:50、成田着12:55、宇都宮着夕5時頃。

2012.2.15

真壁のひなまつり 7.

真壁は、筑波山、きのこ山、足尾山、加波山の西麓の町です。この一つの山あいにうっそうとした「五所駒瀧神社(ごしょこまがたきじんじゃ)」があります。この通称「こまがたき様」の奥さまに、様々なお話しをいただきました。

千年の社の由来から、地形の変遷、庭木の手入れまで。傘までお借りし、お世話になりました。また訪れたい真壁と、こまがたき様です。小雨でしっとりした、また人情味豊かな真壁は何回来ても豊かな気分にさせてくれます。

帰りに食べました西村ソバ店も、おいしかったです。

2012.2.11

真壁のひなまつり 6.

シルバー人材店のピンクジャンバーのお母さんと、しばし団らん。カミサンは、先へ。地震の被害があった見世蔵の状況を聞く。まちの流れに乗れずか、そのままの姿がいたいたしい。

ピンクお母さんも「五所駒瀧神社」にシルバーから聞いたと、ぜひ行ってみてくれとのこと。シルバーの皆さんの奉仕活動があるらしい。

この後、カミサンは漬物を仕入れ、私は鹿の子饅頭(80)を食べ歩き。真壁ご利益菓子めぐり体験です。まぼろしの茶饅頭や夢がかなう夢まん、きれいになれる御陣屋トコロテンもあるとか。真壁は、PRが上手い。食道楽饅頭好きも、これ以上お腹に入いらず、くいが残る。

2012.2.8

真壁のひなまつり 5.

真壁は、スイトンやお饅頭、おせんべいにも力を入れています。名物豊富で、食道楽にはたまりません。

登録文化財が並ぶまち並み、まち角や軒先のお雛様、華やかさの中に感じる人情の暖かさや伝統的な風情。小雨が降り、しっとりした空気がまたいい。昨年建設中でした、「真壁伝承館」が出来上がっていました。月曜日で一部休館ですが、陣屋跡の面影を残します。

御陣屋前通らから下宿町へブラブラ。塚本家、入江家、木村家、潮田家…。

大吉屋を曲がり駐車場方面へ向かい、シルバー人材店をのぞきます。楽しみの一つにしていました、お赤飯とトウガラシを購入、甘酒をいただく。甘酒は100円で自分で入れたからおかわり。

2012.2.10

真壁のひなまつり 4.

カミサンは遊布店にいるはずが、仁平鳥肉店付近で、近所の旦那さんから「五所駒瀧神社」を盛んに薦められ、これから車で載せていくからとのこと。案内チラシ89番ですが、入り口がガケで慣れないと危ないからとのせっかくのお誘いを自分で参ると辞退申しあげました。

実は、この先の酒蔵の手打ちソバが食べたかったのでしたが、店がない。がっくり。また真壁に来るようか。

この先の下宿の長商店で道具入れ袋が欲しかったが、もうないとのこと。またがっくりしたところが、村井醸造のうまい甘酒で一服。有田産だというキンカンもびっくりするほどおいしい。 

すっかり食べ歩き飲み歩きで、また宮本精肉のコロッケの甘さに舌ヅツミ。

2012.2.9

真壁のひなまつり 3.

旅籠ふるかわは、お話し好き(解説好き、面倒見がいい)のお母さんがたくさんいて、どなたがおかみさんか、人間関係がわからないままキュウリ5本を購入。旅籠ふるかわの出入り口には錦鯉が泳いでおり、小学生が傘でつつこうとしていた。

ここから橋本旅館へ向かいましたが、手前の安達家の家の作りとつるし雛の見事さに引き込まれました。

こちらにも3人のお母さん、やはり人間関係がわからないまま、居間や2階の造りをお聞きしながら、木造吹き抜けの天井の高さと吹き抜けにある雄大なつるし雛にびっくり。こちらのつるし雛はボリュームたっぷり。(中国産のつるし雛とは違う)

踏み固まった土間の威厳がいいです。こちらには、朝鮮染付の蝙蝠梅花文瓶や見事な木綿製のタペストリーがありました。

こちらでも同じく、まちのどなたもが真壁の歴史とご自宅の由来を語ります。素敵なことですね。 

安達家で話し込んでたら、カミサンはあきれたか先へ。

 

2012.2.7

真壁のひなまつり 2.

宇都宮から北関東道桜川筑西IC経由で、約1時間で茨城県桜川市真壁のまちです。

3回目の訪問で、わかりづらい真壁の道にも少し慣れました。雛祭りも始まって間もなくで、人通りも少ないだろうと一番便利な高上町駐車場へ。この駐車場の目の前にの豆腐屋さんで、さっそく豆乳とガンモドキを購入し車に詰めこみます。

真壁幼稚園児や小学生、婦人団体の皆さんが散策され、本日はにぎやかです。町のみなさんは、子どもが大好き。おこさん達も物おじしません。自分たちのまちだという郷土意識が、たくましい。

修復中は、旧真壁郵便局でしょうか。このお隣りの旅籠ふるかわで、お茶をいただき、お話しに誘い込まれ名物スイトンと天ぷらソバ(と白菜漬物)を囲炉裏端でいただきました。座敷のガラス戸の向こうに透けて裏庭の土蔵が見えます。ついでに2階も上がって見ていけと、その通りにのぞいて来ました。10人ほど宿泊できそうです。母屋につながり中庭に五衛門風呂があり、一泊二食付き五衛門風呂に入いれて56000円だとか。機会がありましたら、ぜひお世話になりたい。(お祭り中は宿泊不可。)

2012.2.6  

真壁のひなまつり~和の風第十章~

真壁町の雛祭りに行ってきました。何より町の皆さんのまちへの誇りと、もてなしの心を感じます。昨年の地震でほとんどのご自宅が被災され(特に土蔵)、開催が危ぶまれた今回の雛祭りを実行された心意気に敬服いたします。

依然、いたいたしい瓦屋根や土壁を見ることができます。また、去年は開催されていたギャラリーやお店がなくなっていたり、展示品が少なくなっていたりとダメージの影響があったと思われますが、それ以上に新形態のお店があったりと、その可能性の広がりを感じました。

瓦の葺き替えをするとなると三年かかるため、やむをえず屋根をトタンにされたとか、皆さんたいへんな思いで、10年目の開催となった訳です。町に来られるお客さんに見られるという緊張感の中で、実施された勇気とパワーがすごい

2011.12.17

「韓国周遊/世界遺産と歴史の旅」後記

団体行動とバス移動が苦手な私が5日間のバス旅行に耐えられるかどうか、カミサンが心配するところでした。しかし、旅行中は韓国地図を片手に高速道路の形状や標識を頼りにだいたいの位置の把握に努め、ダイナミック(ちょっと強行的)な韓国国内移動にワクワクしたのも事実。

大陸性気候(濃霧、寒風が吹き冷たい空気、冷たい雨)の中、山と階段を上り境内や園内を巡った。郷土食が付いたツアーで、食べ物を心配することなく、余分に好きなレーメン(水と辛とも)も食べた。

慶州では夜遊び(新羅時代の雁鴨池アナプチのライトアップ)、ソウルでは最終日前夜に、知らない町鐘岩洞を散策することができました。

親しい仲間もおり、またナルカワ添乗員のお世話もいただき、無事帰国できたことに感謝申しあげます。

2011.12.14

韓国世界遺産巡り13.(ソウル)

ホリデーイン城北は、城北区(ソンプック)鐘岩洞(チョンアムドン)です。

地下鉄は4号線吉音駅か、6号線高麗大駅が近いです。ミョンドンや南大門など繁華街と離れているため、こちらのホテルの周辺を楽しめる機会は少ない。高層マンションの林立する住宅街と屋根の低い韓屋が混在する雰囲気に浸ります。ここもソウル、この空気を吸い込みます。

時間があれば、京東市場や清涼里駅周辺を歩きたいところですが、翌朝5時集合です。早々に荷物をまとめました。

5日目朝食はソウロンタン牛骨煮込みで、食堂は仁川空港前に寄るキムチ屋さんと同じ建物です。

今回はソウルでの時間が少なく、なんか物足りない気がしていますが、地方の景色と文化財を楽しみ、郷土食をたっぷりいただき面白かったです。前日4日目、ソウル市内観光で昌徳宮楽善斎(李方子さん住居)と仁寺洞木人(モギン)博物館に行くことができてよかった。

2011.12.13

韓国世界遺産巡り12.(ソウルのスリル)

4日目夕飯は、国立中央博物館がある二村で海鮮鍋です。シラコが人気です。

他の皆さんは、明洞や南大門、エステに行かれるとのことで、私はここで単独行動(団体行動がにがて)、思い切って漢江を歩いて江南へ(スリル1)。雨はありませんがけっこう寒い。車道を車がブンブン走っていきます。銅雀大橋だと思います。右手の向こうはヨイドでしょうか。約15分ほどで渡りきり、ここでタクシーを拾い、東廟(トンミョ)へ。

南山トンネルと抜けるとまもなく東大門市場です。東廟の南側にいつも伺う骨董店がありますが、看板は光っていましたが閉店です。向かい店に入ってみます。(スリル2)

たいがい何だコイツはという顔をされますが、何分かするとなじんできます。多少知っているなと思われながらも、知らない顔をします。

新羅時代の金銅仏(李朝ダンスに時たま穴があるように背中に凹あり、お顔が純朴)がいい、が2百万ウオン。感心だけで、申し訳ない。白サンゴと琥珀の玉を購入、これなら荷物にならない。本当に欲しいものは、はぐらかしておく。

いつもは風物市場にも参りますが、すでに夜8時で無理。地下鉄で東廟駅から月谷駅へ向かい、駅直結のホームプラスで買い物(下着、韓国茶)。

ここから城北ホテルまで知らない街をブラブラ。暗闇の路地を向こうから男がきます。(スリル3)相手もきっと緊張しているはず。静かにすれ違う。約20分でホテルが見えてきました。鐘岩警察署が近いはず。

トランクが届く9時半までまだ時間があります。またブラブラ、刺身店と果物店が多い。ホテルの裏口から入りますと、ガイドのシンさんがおり、荷物がありました。

2011.12.12

韓国世界遺産巡り11.(水原~ロッテワールド)

朝からあいにくの雨です。用意のいい方はカッパを着てます。城壁に囲まれた水原華城の散策は、靴の中もぬれました。李氏朝鮮王朝末に造られた王様の別邸の城郭で、全部で2時間半かかるところ1時間の部分で見学しました。多くの観光バスが駐車しています。土と石の地面が多く歩きづらい。水原はカルビでも有名なまちだそうです。

 

ここからソウル市松坡区のロッテワールド免税店まで1時間、地下鉄8号線の駅が見えます。この免税店は客が少ないということでしたが、とんでもない。人気商品の前は二重三重の人垣です。

私は、この時間隣りのデパート地下でレーメンを食べましたが、ロッテホテルとも隣接し

地下道もあるため一度道を見失うと戻れません。

世界遺産巡り4日目、ここで一転買い物ツアーに変身。

2011.12.11

韓国世界遺産巡り10.(丹陽~水原)

丹陽は湖畔の町です。丹陽八景で有名ですが、到着は雨天で夕暮れ、ライトアップされた橋がきれいです。夕飯後に、手元の地図を確認しながら、4人で町の市場など1時間散策しました。魚、果物など日本とかわりません。雨上がりのひんやりした空気が、心地よい。スーパーで韓国茶やアカスリを購入しました。

ホテルに戻り、スパなどが併設し家族連れの多い中、ホテル地下のスーパーをのぞきました。ホテルの部屋はオンドルです。ハンガーがありませんでしたが、選択したものは床に置きましたら、朝には乾いておりました。青春不敗2.をテレビで放映しており、新しいメンバーを見ながら楽しみました。3日目が終わりました。

 

翌朝雨です。ホテル近くで朝食を済ませ、ここから高速道路で2時間で水原です。やっとソウルに近づきます。水原の城跡が楽しみです。1時間おきの休憩時間でサービスエリアにチャン・ウンジャン(韓国演歌歌手・女性)のCDがあり購入しました。

2011.12.09

韓国世界遺産巡り9.(安東河回村~丹陽)

河回村(ハフェマウル)は洛東江(ナットンガン)がS字形に蛇行した中にある瓦とワラぶきのイラカが、樹齢600年の大ケヤキを中心に放射状的に並びます。李朝時代から数百年間、時が止まったかのような美しい景観が保たれています。農業をされている方が多いようですが、民宿や食堂もあるようです。忠孝堂の開けひらかれた空間に余裕と格式を感じます。ぐるっと一回り、豊かな文化遺産を堪能しました。最後は土手の桜並木をそぞろ歩いて駐車場へ戻りました。

駐車場は2か所で、河回村手前までバスを乗り変えました。

 

ここから西北へ忠清北道に戻り、丹陽(タニャン)まで1時間半です。雨中の田園風景が続きます。

2011.12.08

韓国世界遺産巡り8.(安東)

3日目昼食は慶州郷土食のサムパプ(野菜の葉でご飯を包んで食べる)で、食堂のお隣りがアメジスト店です。

慶州から安東市河回村まで2時間、高速道路車窓から田園風景が楽しい。傾斜地の残余地には墳墓(マンジュウ形)が目立つ。家屋に隣接する墳墓もあります。7代前までのご先祖を供養したという儒教の精神からか、墳墓は近くにあるのがいい。

 

安東は2回目の訪問です。前回は3月中旬で風が冷たい安東でした。今回は雨になってしまいました。高校生の皆さんが駐車場から元気よく飛び出していきます。

リュウシオンの実家に来られた郵便配達の方の服装が李朝時代のままで、思わず撮影。村の売店で、木彫の灯火台と灯火器を購入しました。店内にあったほこりのかぶった商品でよかったのに、いつのまにか箱にはいったきれいなものに変ってしまいました。

団体行動なのでグズグズできません。皆さんの後を追いかけ、村の中心にあるケヤキの大木まで参り願掛けしてきました。

 

2011.12.07

韓国世界遺産巡りの旅7.(慶州)

前夜の出歩きは、私には危険な寝不足領域に入いりそうでした。それでも朝食時間の1時間前にホテルの前庭を散歩し、初冬の冷気にふれリフレッシュできました。ゴルフ練習場のカキーンという音が心地よい。今からゴルフではなく、朝食はホテルで豆腐鍋です。豆腐の優しい味が、からだをいやしてくれます。

そしていよいよ仏国寺(プルグクサ)です。紅葉の名残が、まだ美しく散策が楽しい。2塔ある石塔のいいバランスと言われる良さがわからない。今回初めて出会ったAさんと肩を並べて歩く。ここでは新羅時代の瓦の陶片が、参観者により山積みにされています。

前回の境内訪問コースよりコースが短くなり、見学範囲が狭くなった。売店のアジュマは、やるきがないかな。裕福なお寺なんでしょうか。

次は、古墳公園内の天馬塚(チョンマチョン)です。豪華な金冠など華やかな新羅文化の宝物が発掘されて有名です。

昨夜のオさんとイさんが追っかけてきて、お土産をいただきました。まさか、次のアンドンまでついて来ますか。

2011.12.06

韓国世界遺産巡り6.(慶州)

海印寺を後に、いよいよバスは慶尚北道慶州へ向かいます。慶州まで高速道路2時間、1時間おきに休憩を取ってくれます。韓国は高速道路が発達しており、東シナ海方面から一気に横断して日本海(東海)方面の新羅の国へ。韓国の方は、ご自分の国をウニナラと申しますが、ナラは奈良でしょうか。やはり古代日本に通じているのでしょう。

夕食は、普門湖畔のレストランでプルコギです。私はレーメン(ムルネンミョン)を追加です。ホテルは仏国寺脇のコーロンホテル。かつて新婚さんであふれたそうです。温泉施設とゴルフ場、テニスコートなど抱えリゾートホテル。ホテルロビーで、さっそく名物の皇南パンを購入しました。

午後9時、現地の呉(オ)さんが遊びに来てくれました。オさんは、宇都宮出身の奥さんを持ち、かつて栃木ホンダで車の設計をしておりました。実家は永川市で、現地で就職探しをしています。

友人の李(イ)さんがホテルまで車を用意してくれ、私とTさんを夜の雁鴨池(アナプチ)まで連れ出してくれました。ライトアップされ美しく、そぞろ歩きのできる夜のデートコースです。慶州のまち中でタットリタン(鳥肉のキムチ炒め)をごちそうになり、午前零時にホテルまで送っていただきました。

栃木県では正月にサメ肉の煮こごりを食べますが、韓国では安東と氷川のみこのサメ料理を食べるそうです。共に海が遠い内陸地であり、同じ食文化があるという共通点がありました。 

2011.12.05

韓国世界遺産巡り5.(海印寺)

ここは、慶尚北道伽耶山南側にある海印寺の麓にバスが到着。時刻は午後3時、山間にうす暗くなる気配。紅葉の名残に包まれながら美しい渓流と巨岩を左手に、30分ほどゆるやかな坂を上ります。

世界遺産の八万大蔵経(版木は白樺)は、朝鮮時代(1392~1910年)、蒙古の侵略の危難を避け江華島から人の手で(頭に載せて)移されました。現在500人の修行僧がいるそうです。

山門から本殿まで約100段の階段を上がります。こちらは階段に手すりがなく、また段差が大きいため大股か横歩きに上ります。海印寺は、夜間はライトアップされるそうです。

参道では、山野草(薬草)などのアジュマの売店がありました。

バス2台の55人ほどの団体ですが、茨城県のご婦人2人が山を登らずバス停で待っていました。私たちが帰る頃、これから上る方もおります。この山中、なかなか2度と来ることはできそうにないと思います。 

2011.12.04

韓国世界遺産巡り4.(全州)

公州からバスで全州へ約1時間半。高速道路を南下。

昼食は名物全州ビビンバ、野菜とナムルをかき混ぜるとさわやかな味がひろがる。本場の豆モヤシのシャキシャキ感がうれしい。(石焼ではないのも、自然でいい)

そしてお待ちかね約900棟の伝統家屋が残るという全州韓屋村を訪問。時間が足らず忙しい。

小学校の門前の駄菓子屋でトッポギを食す。一軒の民芸店兼喫茶店で、白磁碗と木彫四方盆、ケヤキ材の台皿(供物台)を購入。集合時間に遅刻し、低姿勢を重ねる。

李朝末期の街並、低い瓦屋根が連なる。こちらの民宿にじっくり泊まりたい。

ここから海印寺(ヘインサ)へ2時間。高速道路はどんどん山間地に入いっていきます。

2011.12.04

韓国世界遺産巡り3.(公州)

二日目、温陽(オニャン)から公州(コンジュ)まで、濃霧の中を約1時間30分、本格的なバス旅行の始まりです。盗掘を免れたという武寧王陵(古墳全体の形、空との境の曲線が美しい)から百済王朝の公山城跡へ。

武寧王は、王朝内の勢力争いの危険を恐れた父王が日本九州の島に避難させた母親から生まれた。当時の日本と百済が、地理的にも身近だったことが偲ばれます。

武寧王陵前にある全米女子ゴルフで現役のセリ・パクの記念館が印象的です。世界遺産に隣接して現役ゴルファーの記念館があることが不思議です。彼女はまだ30代半ばで、アメリカでの活躍は15年ほどのはず、確かに韓国人としての先駆的実績はすばらしいが、それだけ韓国内での人気と評価が高いということでしょうか。(日本の岡本綾子プロのほうが全米での実績は高いと思うが。)

公山城(コンサンソン)は、韓国歴史ドラマ撮影地になるような遺跡です。坂の石畳みを、歴史を感じながら踏みしめます。霧で湿った石畳が柔らかな日光を反射し、心地よい。

トイレ前でつまずいたものが瓦(陶片)でした。1500年前の瓦か、興味深いです。

巾1メートルほどの城壁をたどる。フェンスのない左右は、崖です。

2011.12.03

韓国世界遺産巡り2.(温陽温泉)

ソウルから忠清南道(チョンチュンナムド)温陽温泉まで約200キロメートル。

街灯はほとんどなく、バスは暗闇の中を突進した。南下しながら、この西方は黄海。牙山(アサンシ)休憩所でほっと一休み。ソウルからここまで、かつて李朝時代の王様の行列はどういう形態でやってきたのだろうか。

 

温陽温泉では、まずサムギョプサル(豚肉)で夕食。追加で頼んだレーメンがおいしかった。私は、スープのない辛いレーメン、でも辛くない。

ホテルは温陽グランド。フロント奥に温泉風呂の案内がありましたが、部屋風呂ですませた。ちょとくたびれたかなというホテルでした。

翌朝は、豆モヤシと干しタラのスープ料理プゴククをいただきました。

ここから百済の古都公州へ向かいます。

2011.12.02

韓国世界遺産巡り1.(仁川空港~温陽温泉)

2年ぶりに中学クラス有志で韓国に参りました。

8月に予定を立ててからが長かったこと。当初の参加予定者の都合が悪くなったり、体調を壊し何とか回復して間に合ったり、特別参加があったり…。

 

成田空港から大韓航空でソウル仁川空港まで約2時間半、機内食は韓国風味タップリ。

空港からバス2時間ほどで温陽温泉(韓国最古の温泉)着。韓国の温泉は、釜山の東莱(トンネ)温泉以来20年ぶりです。

ソウルから地下鉄でつながっており、多くの高齢者(地下鉄無料)が来られるようです。

日本人が思う情緒風情のある温泉街とはちょっと違い、温泉マークの看板がなければ一地方都市に見えます。こちらでは、スーッと温泉につかり、アカをバーッとかき落とすことを楽しんでいるのかと思います。

2011.07.16

釜山5.…釜田市場の生レバー刺

 

3日目、早朝に眼が覚め一人で再度釜田市場に出かけました。前日と違うような路地をウロウロ、乾物市場から魚市場、野菜市場、肉市場へ。ここで一軒の食堂で無造作に頼んだら、生レバー5000ウオンが出て参りました。角4~5センチもあるものです。この噛みごたえ、感触は生レバーならではのもの。隣の席では、何人かの男性がレバーとセンマイをつまみにお酒で意気があがっています。

ついでにはしごで、他の店で煮込みヘジャンクッ4000ウオンがまたおいしい。店先で煮込む鍋からの湯気に誘われます。血液の固まりを噛んだら、口の中に韓国の味が染みわたりました。

 

朝ドラマおひさまが終った頃、カミサンとホテルチェックアウトを済ませ、改めて食事へ。目指す西面の焼き魚店と、生豆腐鍋店はまだ開いていません。ロッテホテル南側のウニスープ店へ入りました。ここで知り合いの日本人に出会います。

カミサンが注文した甘ダイ焼定食8000ウオンは、たいへんおいしかったです。まだ出立まで時間がありましたので、地下街を北東へ向かいひと駅分歩き、釜田駅前のハナロマートで最後のお土産探しです。カミサンのトランクの隙間分のお茶を買いました。

ちょっとぜいたくして、ホテルから金海空港までタクシーで13500ウオン。出国手続きをしますとレストランはありません。約1時間半で成田空港に着陸しました。

帰ってくると、また懐かしくなる韓国です。

2011.7.15

釜山4.…農協ハナロマート~テジクッパ

 

チャガルチ駅前のハナロマートで、私の好物韓国茶を購入しました。カボチャ茶とショウガ茶です。品々の並びがどこか雑然としているところがケンチャナヨ的です。

ここからひと駅分南浦まで、地下商店街を散策します。

いざという時には、防空壕でしょうか。さまざまなお店があり、カミサンは一番印象的だったようです。

 

地下鉄で西面まで戻り、カミサンはロッテ免税店へ。私はロッテホテル北側の観光案内所周辺を散策します。おいしそうなお店が点在しています。

1時間後、合流しいよいよテジクッパです。生豆腐鍋も食べたいのですが、テジクッパの味足し調整のアミの塩辛のなつかしさが忘れられない。付け出しのタマネギのシャキシャキと甘さもいい。

外はいつのまにか夕闇、西面はチャガルチのにぎわいとはまた違います。子どもの土産にナイキのサンダルを購入しました。

今回、ヘウンデや東莱温泉には行けないのが残念ですが、一度に全部は回れませんので次の機会に取っておきます。

2011.07.14

釜山3.… 水産チャガルチ市場にて

 

古本街は開店前か、休日か開店している店は少なめです。

昼食の予約時間まで時間調整を兼ね、富平市場と国際市場をブラブラ。母親の土産のブラウスを購入しました。

ホテルの朝食は、軽めに済ませておりました。お待ちかねのチャガルチブッフェで食べ放題です。場所は釜倉ビル6階で、すぐわかりました。時間までお隣りの魚市場や海辺の雰囲気を楽しみます。日曜日の昼下がり人出は多いです。アイスクリーム売りの声が響き渡ります。25年前の魚市場や国際市場とはガラリ変容し、きれいになりました。

 

予約したはずが、そんなこと関係なし。まあ席があればいいよ。クーポン券のジュース2本をなんとか説明、このジュースが500ccで飲むのがたいへん。中国人観光客が多い。お寿司は不満足でも、焼き肉(骨付きカルビ)は十分まったり。一人13000ウオン(約千円)は、仕方ない値段でしょうか。

今回、カミサンと共に食事は腹8分目にしております。

2011.07.13

釜山2.…真夏日

 

2日目、ホテル提供の朝食バイキングを早目にいただき、釜田市場へ出かけました。ホテルから10分かかりません。日差しがまぶしく快晴ですが、湿気は少なく快適です。釜田駅から市場の東から西へとメーン通りを歩きました。

パラソルのある果物通りから、魚、乾物、肉、とうがらし、ニラ、ニンニク、服が並びます。通りは屋根があり、舗装され歩きやすいです。ノリ1束3000ウオン×2、カミサンの好物サキイカ5000ウオン分を購入。西面まで歩き、コンビニでコーヒーを購入、いったんホテルに戻ります。

 

ホテル前からタクシーで20分、コモドホテルを左手に見ながら快調な運転で九徳運動場東側の骨董市へ。前日の大雨の影響があったか出店は5店ほどでしたが、ここで東京神田で洋風居酒屋を経営されるご夫婦にお会いでき、情報交換です。

出国で問題となるような陶磁器はないようでしたが、金物や木彫の品物が手に入りました。日本人とみて高めの値段でしょうが、カッカジュセヨ50000ウオンマケテネとがんばってみました。(もう本日の商売は十分か、この店主は以後、囲碁に夢中)

ここから、国際市場北側の古本街までタクシーで2300ウオン、5分ほどです。暑くなってきました。

 

2011.07.12

釜山1. …大雨荒天

 

 成田空港で搭乗手続きの際に、釜山上空の天候不順のため折り返し成田に引き返す可能性があることを告げられました。(同行のカミサンは、代わりにソウルに行けると思ったらしい。)

予想通りに釜山金海空港は大雨です。繰り返されたテレビのニュースによると、半島内陸のテグやアンドン、テジョンでは、雨水による床上浸水や田畑の作物への影響が大きく相当な被害があったようです。

 

初日、この大雨で当初の行動予定は、大きく変更しました。ホテルのチエックインには早く、荷物をフロントに預けて出かけました。

機内食にあきたらず、さっそく地下鉄1号線で西面から南浦へ向かい、地下商店街の骨董店に立ち寄り、ソムジンガンしじみスープ料理店で遅い昼食。シジミは煮しまっていましたが、サバと大根の煮つけがおいしい。この間、すでに足元はビショビショです。

地下鉄1号線東大新洞の骨董市は、この大雨で中止と見込み、国際市場を歩き回りカミサンとウィンドウショッピング。西へ向かったはずが、北へと進んでしまいましたが、個性的な品ぞろえと楽しいデイスプレイに感心します。カミサンは、雨合羽を探しましたが、ハンテンのカーディガンで気がすみました。 本日は、下見となりました。

 西面のロッテホテル地下食品街で軽く回転寿司を食べ、サンダルと豚足を買い込みホテルに戻りました。ドシャブリの中、よく歩いたものです。足は、ふやけました。

 

 

2011.07.11

釜山へ(結婚☆0周年)

 

カミサンと釜山へ行って参りました。あいにく荒天から真夏日へと、天候に左右され、予定は大きく変化しました。

 

【釜山予定案】 20117. 9() ~ 11() 2泊3日

1日目 自宅発 500 eチケット・パスポート・駐車場予約済

JL957 成田空港発1110→釜山金海空港着1320    

リムジンバス2番乗り場…5000wロッテホテル⇒東横イン釜山西面

夕食…地下鉄2号線かタクシー⇒パラダイス免税店⇒元祖ハルメクッパ

釜田洞駅土曜日お祭り釜田マーケットタウン土曜文化夜市場

 

2日目 散歩・朝食テジクッパ通りの生トウブ鍋→

        地下鉄1号線九徳運動場骨董市/宝水洞古本街/国際市場

        水産物総合市場◆釜倉ビル6階ジャガルチビュッフェ予約済13時

農協ハナロマート→光復地下ショッピングセンター内骨董店

ソムジンガン蟾津江シジミスープ⇒地下鉄釜山駅アリランホテル前 

1930発観光バス:夜行コース・申込未確認

    ⇒地下鉄・タクシー…西面、ホテルへ

 

3日目 散歩・朝食釜田市場~農協ハナロクラブ9002300釜田洞駅 

ホテル1130発 タクシー 金海空港、 

JL958 釜山発 1415 → 成田着 1615→宇都宮帰着2030

2011.04.08

ソウル中止…今月予定しておりましたが…

 

24()

1日目  宇都宮発 500 ⇒ 成田駐車場

成田空港 JAL951 10:00発 ターミナル2. 

インチョン空港⇒空港バス (6015番…5Bか12A停留所10000ウオン、または、リムジン6001番…6Aか12B停留所14000ウオン) →停留所ベストウェスタンプレミアホテル国都 

弘大駅(地下鉄5号線)昼食…三角公園.希望広場フリマ1418

⇒インサドン(アサリウドン)木人博物館(喫茶)1019      

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2日目  散歩・朝食…焼魚定食~東大門市場・地下鉄1号線~京東市場見物

長安坪、昼食サムゲタン ⇒ 風物市場、東廟、玩具通り

 … 南大門夕食、ロッテ百貨店地下~ミョンドン     

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3日目  南大門 豆腐チゲ~散歩…東和免税店、梨花洞路上美術館~昼食    

26日午後 1310 ホテル国都迎えあり

民俗村へ 55000ウオン×2人(当日払い)⇒17:00帰着     

夕食  広蔵市場(のり巻き、他)~東大門市場~ 

タクシー~ ソウルタワー ~ ケーブル 

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4日目  散歩(西村・通義洞カフェ通り、南大門)、朝食未定 ~中部市場~ 

時間までにホテルへ戻り 

        空港行きバス乗車(ホテル前) 10:00発 ~空港で昼食

JAL954 13:35発

 

※こんな計画でしたが、中止しました。

 

2010.12.18

<釜山東莱地区>

 

望見駅から西へ一駅を歩き盃山駅から、地下鉄で東莱温泉まで足を伸ばしてみました。このあたりに何軒か骨董店があるはずが、見つかりません。海鮮料理や中華料理店が多い町です。

東莱温泉小学校の西側の中国茶の専門店へ立ち寄り、お茶をいただきました。ここに、中国白磁の雰囲気のいい湯呑がありましたが、高価で手が出ません。1客2万円から3万円です。時代の若い染付煎茶碗で5000円くらい。

明倫駅前のロッテデパートのフードコートで昼食。水レーメンに餃子が付いています。味はもう一つ。夜食用に生寿司を購入。

 

また、地下鉄で西面へ戻りました。初日の豚骨味が忘れられず、また食ってけ通りの田舎家へ。本日は歩き疲れましたが、トランクを片付けました。明日は早起き出立です。

 

4日目、夜中に起きてしまい、もう寝つけません。

時間にタクシーを呼んでもらい、空港へ。20分ほどで着き、12000ウオンでした。

日の出を空港で見ました。帰りは90分で、成田へ無事着きました。

韓半島情勢は緊張が続きますが、次はいつ韓国へ行けることか。

2010.12.15

<釜山3日目…望見周辺>

 

3日目、地下鉄1号線から3号線へ乗り換えして望見駅周辺へ行き、まず朝食。

レーメンを注文しましたら、ビビンレーメン6000ウオンで、辛あまいもので付いてきたスープを入れて混ぜ合わせ、味を調節して食べるものでした。

おまけでチヂミをいただきました。チヂミの代金は取りません。サービスとのこと。(一般食堂のチヂミは、ありがたいことでした。)

 

始めの骨董店は趣向が一風変わっていて、50から60年前の物が中心。日本で言えば、大正ロマン、昭和レトロのようで、カレンダーなど刷り物や、文房具、レコード、石細工、工芸品などを見ることができました。石製品は高価です。

最初は店の奥の店主が何だというような顔を出して、にらまれましたが、せがれさんは一生懸命翻訳機を出して、説明してくれます。日本人に慣れていなかったかな。(値段は高めでしたが、ソウル骨董街では見たことのない品揃えの店でした。)

次の店は奥さんが店番で、木工品が中心の店です。これというものがなさそうで残念でした。きれいに磨かれたスッカラスプーンと薬サジを購入しました。

 

絵葉書とジャケットの状態のいいレコードは、ないです。

いいもそうでないも、品物自体はソウルが探しやすい印象でした。

 

2010.12.14

<釜山2日目の午後>

 

古書街の南側にあるのは、迷路のような国際市場です。

20年前は雑多な印象でしたが、こぎれいな店が林立しており、たまたま看板を見つけたサムゲタンの店に入いりました。

付け合わせに出た、鳥皮とキャベツの炒め物がおいしく、またお酒が出たのも初めてでびっくりしました。サムゲタンで汗をかき、12000ウオンです。本場のサムゲタンはコクがあり、おいしかった。

 

そのまま国際市場の東の釜山銀行から南に通り抜け、エレベーターで公園へ登りました。近いところに見える釜山港を写メールで、一回カミサンへ報告。

ここで一休み、一人旅の気安さです。

次に、釜山デパートへ。このデパートの入り口が分からずグルっと遠回り。

ここの2階の骨董店並びより、デパート前の地下街の骨董店の力道山のパネルが楽しかった。ベースボールマガジン社の週刊プロレス付録の昭和57年のポスターです。店主は800.000ウオン、オリジナルと言っていましたが、確かにオリジナル(の印刷)のサインです。

 

地下街から地上に出て、釜山フェリーターミナルを横目に釜山駅まで歩き、駅構内を散策。旅行者用の案内所はないようです。

ここから、地下鉄で西面まで戻り、また楽しい食ってけ通りで夕食は豆腐鍋5000ウオンです。

トゥブチゲでも、白豆腐鍋でした。アミの塩辛での味付けがよいです。 

目の前の屋台のアジュマと目が合い、夜食用にチヂミを購入。

釜山はチラシの配布が激しく、そのままゴミになってしまいます。

この夜は、早めに寝てしまいました。

 

2010.12.13

<釜山2日目>

 

2日目、朝食はホテルの近所で路地裏の店で、3000ウォン朝定食。鯖のキムチ味焼きです。

地下鉄1号線で南下し、東大新洞駅へ向かいました。

運動場のあたりにあるはずの、目指す骨董街が見当たりません。

何軒かはありましたが、出勤前だったり、品薄だったり値段が高すぎたり、期待はずれでした。古いレコードの民俗的なジャケットは印象的でした。

すたれてしまった骨董街のようです。

タクシーで10分の国際市場北側の古書街まで2500ウオン。絵葉書を見たいと思いましたが、絵葉書はないとのこと。がっくりです。

地元の方から、欧米人まで多くの方が掘り出し物を探しているようです。新書もあります。

絵葉書は、コレクターが手放さないようです。

ここで日本に住んでいたという二人の地元のご老人から、話しかけられました。

 

1階が古書店で、2階が骨董店の店に入いり、陶磁器より木器、民俗品が多くじっくり見せてもらいました。兄弟店が釜山デパートにあるそうです。

2010.12.11

<釜山初日の夜>

 

成田からの大韓航空機は、ほぼ満席です。

約2時間で、金海空港着。出口のバス停2番、空港バスで西面ロッテホテル下車、料金5000ウオン。夕刻6時です。

ここから、トランクを引きながら食ってけ通りの豚肉スープ店慶州で夕食。

豚骨味にキムチで好みの味付けをします。付け合わせの玉ねぎがおいしい。

通りは、人ごみと露店(チヂミ、牛血ソーセージ、オデン、のり巻き)の喧騒とごま油のこの匂い、んんんー韓国です。

 

慣れれば宿泊のエンゼルホテルまで徒歩10分ほどですが、道が不案内で、道路は工事中が多くなかなかホテルに着きません。

トランクを抱え、地下商店街を抜け偶然ホテル前へ出ました。 

夜はそのままベッドへ。

2010.12.02

<20年ぶりの釜山>

 

出発の前日、なんと北朝鮮から大韓民国が爆撃を受け、一気に韓半島に緊張が走りました。

旅行社本社から、キャンセルするかどうか確認の電話ありました。

外務省からは、渡航について特に指導的通知があったわけではないようです。

せっかく2か月前から計画と準備をしていましたので、どうもあきらめられません。

エイヤッと、一人旅に出掛けました。

 

成田空港でも、なんらいつもと変わらない様子です。

釜山まで2時間の空の旅です。食事も機内販売も忙しそうです。

 

 2010.12.1

<韓国骨董の旅…娘とソウル3.>

 

最終日、出発までホテルから歩いて国立民俗博物館へ参りました。

途中、北村で敬アートの店で先生にお会いでき、ポジャギのいろいろな作品を見せていただきました。ベッドカバー、座布団をくるむもの、誕生祝いにベビー布団をくるむものなどです。

韓国でもポジャギが見直され、学ぶ方が増えたとのことでした。

そして、国立民俗博物館から景福宮庭園と建築物をのんびり散策、興礼門前の広場で守門将の交代儀式を見学。

この武士達はみなさん体格がよく、徴兵制度の中で希望者が行っていると伺いました。

3日間、残暑はありましたが、湿気は少なく快適な旅でした。

 

2010.11.13

<韓国骨董の旅…娘とソウル2.>

 

2日目、娘と長安坪へ参りました。木綿で紺の藍染チョガッポ(パッチワーク)がありました、店主が嫌がっていましたが、それそれと取り出し多少無理して買いました。

藍染のものは珍しく、これで2枚目になります。この骨董街は大きく2か所ですが、この間は徒歩で5分ほどです。何回か参りますと、自分の好みに合う店が見つかります。

 

この後、仁寺洞に戻り、「古都舎ギャラリー」で高級品をゆっくり拝見します。ここで李朝家具展を開催した折の図録があり、名称、作製年代、材質などが読み取れます。

後日、ここでポジャギ展と木彫工芸展の図録を買いましたが、とても参考になります。図録の写真を見ておくだけで、こういうものもあると思いが広がります。

2010.11.12

<韓国骨董の旅…娘とソウル1.>

 

何年か前の9月に、福島空港から19歳の娘とソウルに参りました。福島空港は、アクセスが良く宇都宮から2時間半で着きます。

初日夜は、イッテオンで焼き肉です。私はレバーとレーメンを注文。レバー刺は、ありません。

仁寺洞のクラウンホテルに2泊します。このホテルは、エレベーターは8階まで、9階は階段です。

空港リムジンバス停も、徒歩圏内です。食事には、困りません。周りは食堂が多く、○肉料理もあり男性客でにぎわっていました。

この辺からの下町の雰囲気が好きで、早朝よく散策します。下町だけに、寒い日に雨が振るとさびしい町です。

ここは地下鉄駅「鐘路5街」で、地下鉄1号線、3号線、5号線が走り便利で、骨董街の長安坪(チャンアンピョン)へは5号線で行きます。

仁寺洞からタクシーで長安坪まで渋滞がなければ、700円ほどでしょうか。

2010.10.26

<慶州~ソウル4.>

 

セマウル号でソウルに着きました。外は雪。クリスマスの電飾が見事です。足元から冷えてきます。

オンドルのある焼き肉店では、ガイドさんが骨をかじっています。私は、最後の冷麺が楽しみ。宇都宮中から盛岡まで冷麺を食べましたが、本場は、太麺細麺、ソバ麺、固め、辛目…どんな麺でもおいしい。

ホテルは、江南のソウルパレスホテルです。夜、一人でホテル近くの高速バスターミナルに行ってみました。雪は降り続き、歩道が凍って来ました。ソウルの雪の夜は、さびしい。高速バスで、思うところに自由自在に行動してみたいものです。

 

2010.10.24

<慶州~ソウル3.>

 

2日目の宿泊は、普門湖沿いのリゾートホテルです。当時の新婚旅行は、慶州か済州島が主だったそうです。年末でしたが、湖水に吹く風が心地よく、夕食後に散歩を楽しみました。

現地の方は記念写真を大切にしているようで、新婚さんがポーズを取っています。

 

3日目、慶州駅からセマウル号でソウルに向かいました。こじんまりした駅で、コシアンの皇南パンを買いました。5時間近い車中で弁当です。お箸(チョッカラ)で食べましたが、マナー上、容器は口に近づけません。窓から外の民家の庭が見え、

太田では原野が広がり、楽しい電車の旅です。

2010.10.22

<慶州2.>

 

翌朝2日目、国際貿易港の釜山港から美しい日の出を見ました。港には、日本からの船が入国検査を待っているようです。同室の先輩は、前日のキムチが合わなかったか体調不良を訴えます。

バスで高速を走り、慶州へ向かいました。高速道路は中央分離帯がなく、滑走路でもあるとのことでした。

およそ90分で慶州です。運転手に幾分のチップを差し上げました。

慶州は街全体が博物館のようです。仏国寺から古墳公園、国立慶州博物館へ。

寺院跡に、秀吉軍の進攻の傷跡が現在も残っているようです。

2010.10.15

<釜山1.>

 

初めての訪韓は1987年、ソウル88オリンピックの前年です。

オリンピックに行こうとして、何人かで旅行積み立てをしておりました。

ところがオリンピック時の旅行代が高価で間に合いません。という訳で前年に前倒し、4人で出掛けました。

当時人口500万人の釜山から入いり、国際市場を散策、活気あふれるチャガルチ市場でヒラメと黒タイを買い、2階で刺身とアラ汁で食べました。

釜山の北方の東莱(トンネ)温泉に入いり、地元の方の入浴方法にビックリ。2~3日おきに入浴すると聞きましたが、これでもかというように、からだを洗ってます。初日のホテルは、伝統的建築のコモドでした。