2016.7.9  恩と音

天然食彩庵恩『恩』と天然石音がまもなく開店されるということで、先日そのお祝いに駆けつけた。どちらも、当クララのお客様です。場所は、宇都宮の中心街の一角にありますイズモ通り商店街路地裏です。

おいおい状況報告をして参りたいと思います。

 

2014.7.7花緑まちづくり協議会・楢葉②

バス車中は、参加者自己紹介、桜井けいいち会長の挨拶、団体活動の紹介などであきることがありません。草楽友の会(星野事務局長)からは藍の苗、他に種子をいただいたり、坂井顧問から飲み物の差し入れがあったり…。

車中は雨天でも楢葉道の駅での研修時、ララミュウでの昼食時、いわきフラワーセンター見学時では雨が上がり好調な日程でした。乗車満員のため何人かは補助席で気が引けましたが、無事今年の研修会は終了しました。

愛すべき宇都宮で、花と緑を通して住みよいまちづくりに取り組む多くのお仲間の皆さんがおられるということが何より心強く、このみなさんと交流できたことが何よりありがたいことだと思います。

2014.7.1那須サンバレーお宝市

2日目5時起床。温泉神社まで散策するも、神社前の足湯の掃除時間にぶつかり、持参した手ぬぐいは霧雨除けになった。7時からの朝食はどれもおいしかった。特に山芋が気持ちを楽にしてくれた。(食べ過ぎに注意)

7時半に会場入り、すでにサンバレー担当者が来ていた。ありがたい。

同僚の林さん母がお弁当をよこしてくれた。ごちそうさまです。おかげさまで、一日過ごせます。自分の品物が一番ってな顔しましょう。骨董屋の心意気をみせたい。骨董先輩のN氏が出店、心強い。値段シールを提供した。皆さんが願うほど売れればいいが…。

日光天然氷の社長さんが飯茶わんを、福島のお父さんが永楽盃を購入してくれた。ありがとうございます。なんとか宿泊代が出そうですが、ガソリン代高速代までは、もうちょいです。

店にばかりいては足からカビがはえそう。こんな出店(出稼ぎ)もいい気分転換です。サンバレーのみなさんお世話になりました。

 

 

2014.6.30那須サンバレーお宝市

外は雨が降ってきた。客入りが心配。お宝市のチラシや看板があちこちに設置されている。PRはしてくれている。が、那須地域全体の雰囲気の盛り上げ方、本気度を懸念してしまう。何でも売ってしまえばいいではない。並べる品物の質が大切。品物に価値はあるのか。人の目をひくものがあるか。

初日も夕方は片付けが始まる。私はアネックス泊、本館6階での夕食は19時から。それまでにお風呂に入り、一寝入りしたいが眠れない。

やっと夕飯、エレベーターを降りると右側の壁に写真が展示してある。アネックス通路にも童画があったか。たくさん飾りあり。

 

2014.6.29那須サンバレーお宝市

実は当日朝5時に自宅発、高速でラクラク現地着のはずだった。ところが何ってこったい那須インターを乗り過ごし白河まで行って、折り返し那須へ。こんなことがあろうとは。雨も降り続き、那須の森の中はもやってサンバレーの位置もあやふやになってしまった。

何とか持ち込んだ台車で店開きの準備へ。品物並べて値段シール張りで、もう9時だよ。向こうでは日光天然氷売り、外人(フランス人)の骨董商、サンバレー店、手前は幼児服100円フリマ…お宝掘り出しって大丈夫かな。(フリマ店が多いと、こちらもフリマ風になってしまいそう。で、ここで踏ん張りたい。)

目の肥えたお客さんか、象牙根付を見てもらう。中国の方でしょうか。また明日も来るという。どうぞ。

 

2014.6.27 那須サンバレーお宝市

とある日、新聞にサンバレーのイベント広告あり。那須に行きたかった。いつも素通りばかり。が、業者の出店は受け付けていないらしい。そこを警察の許可を得た古物商でございますと、お願いをした。そんな経過があったが、広い心で受け付けてもらった。お宝発掘なら、フリマだけでも困難でしょう。ぜひこの機会に、サンバレーの皆さんに、骨董古美術の本質をみてもらいたい。ただ品物を並べて安価に売ればいいだけではないはず。

朝7時に会場へ。担当の方がいらしてくれた。ありがたい。さっそく名刺の交換。

お隣は笠間焼の作家さんと、いつもの骨董ワークワークの林さん(私が誘った)です。この日は鹿沼花緑センターの露店市だったが、ここのところの雨で中止続きが心配。サンバレーは屋内(結婚式披露宴会場か)で天気の不安ない。開放感もある。気分がいい。

 

2014.2.19真壁のひなまつり⑤

下宿鍵の辻23番潮田家で私はてんぷらそば、同行二人はスイトンをいただく。黒板壁はきれいに修繕されていたことにびっくり。地井散歩で訪ねた面影はうすい。本日は人出が少なく、あっけなく食べることができた。こちらの潮田家には、上の鶴屋・下の鶴屋の言い伝えが残る。

おソバ腹五分、あとはラーメンと思っていたが、恋しいお店が休みか閉店か、思えばお年寄りご夫婦が駄菓子屋と食堂を営んでいたことを思い出した。

もう一軒思い出した。辛いおにぎりをふるまってくれるお店です。女性がお二人、一人は常に動いている。「それは、トイレの置きスリッパ」と、白磁の履物。黒柿の板が2枚、竹篭入りの湯呑、ウチワ立て…いいんだか、なんだか、ウロウロ。試食用ラッキョウの器を落としてしまった。ごめんなさい。「大丈夫さ、気にしないで」…、いろいろあり、トウガラシを買い損ねた。

ラーメンに後ろ髪引かれつつ、帰路に着いた。

 

 

2014.6.17真壁のひなまつり④

登録有形文化財の橋本旅館は、新宿鍵の辻にあります。ここから仲町台宿鍵の辻へ見芽通りを南下し、旧小学校やサイカチの木を右手にしながら、西岡家さんへ。ぬれせんべいをいただく。座敷飾りのいくつものお雛さまが、真壁の奥深さを感じさせてくれる。いつものおにいさんでなく、お父さんがいらした。屋の酒蔵は閉じたらしい。(土日なら、ここでお蕎麦をいただく。)

中心街をぐるっと下宿通りへ。いつもの石屋さんのおじさんはゴルフだそうだ。村井醸造さんで版画の展示を楽しむ。あの地震の跡がまだある。

2014.2.16真壁のひなまつり③

川島用品店の皆さんは気さくだ。「さっ、中庭通って向こうにもあるよ」、土蔵にお雛様が鎮座し真壁の奥深さを感じる。「茨城大使の磯山さやかが来てるよ」って、どれ、だれ。

足を伸ばし120番の安達家のつるし雛を拝見、土間の土の感触がいい。ここもいつものおかみさんの姿がないかな。李朝瓶の位置が去年と違う。

この降雪に真壁のみなさんもお疲れか。お客さんも出足ももうひとつか。

お隣の82番橋本旅館には、2階まで見せてもらう。300年前のものという貴重な享保雛が品よく飾られています。座敷に「うれしいひなまつり」の歌詞カードが置いてあり、ゆったりできる。

2014.2.15真壁のひなまつり②

今回は、女性友人二人と同行しました。3人の日程が合い、9:00に久楽楽出発。先日の降雪の余韻が残る中、北関東道から筑波山麓まで約1時間、雨引観音の案内板が見えれば、間もなくいつもの真壁の高上駐車場です。

さっそく情報収集でチラシ等をいただき、お豆腐屋さんで豆乳と煮てあるガンモドキを購入して預ける。(ガンモドキは味が強かったが食感がいい)

続いて白川菓子店で、鹿の子饅頭を友人と立ち食い、おいしい。こちら甘いものに目がない。次は、ふるかわ旅館で一休みのつもりが、早かったか準備中で立ち回っている。いつものオカミさんの姿がなかったか。

 

2014.2.13真壁のひなまつり①

やっと雪がとけたところに、再度降ったらしい。栃木県から茨城県へトンネルを抜けたら、高速道路の両面の田畑一面に雪景色。まち中で「ことしのひな祭りは、はずれだぁ」の声がした。

イベント用地に積雪、これを高校生が雪のかきだしに懸命な風景、お疲れ様です。雪の対応に真壁の方も精いっぱいだ。茨城出身のタレント磯山サヤカ氏のテレビロケもやっている。「どっから来たんだい。今日は休みの店が多いよ」と、親しく声が掛かってくる。「昨日は、けっこう混んでたよ」、「だんなは週3回もゴルフだ、いないほうがいいよ」と石屋のお母さん、「この灯りとその影がいいってさ」、「本番は、これからですよ」と、食堂のお兄さん。やっぱり真壁は楽しい。この気安さと、いつものおもてなしの気持ちは不変です。

2014.2.1鹿沼花市

先日、宇都宮市豊郷にある赤ちゃん本舗へ買い物に。「賢いジイ、賢いバア」の冊子の内容に苦笑い。お雛様が陳列され、そんな時節かと思う。

その足で、遠回りして鹿沼市の花市へ向かった。宝木から大谷、福岡町を抜けて鹿沼市の中心街へ入った。ここには高校の同級生が三人いる。みんな何をしているやら。

鹿沼の花市は初めてです。商工会議所へ駐車、末広通りを南下。美味しそうな露店が並ぶ。お花や植木も見たい。カミサンはお好み焼き、私は焼そば…、いきのいいおばさんお二人の焼きそばがうまそうだ。

そこから、西の大和コーヒーで一服、まちの駅でトイレ、銀座通り散策は40年ぶりだ。約5キロは歩いたかな。二人で歩きながらのよもやま話がいいのです。 

2014.1.28笠間稲荷で身体健全を祈願

毎年正月には、笠間の稲荷神社で祈願します。今回は、前日に11時昇殿の予約をしました。朝9時に久楽楽を出発、途中笠間サービスで休憩、友部インターで下車します。体調に不安があったカミサンも何とか同行し、長男夫婦と4人連れです。

お稲荷さん参道の景気後退を感じながらも、昇殿してみれば200人近い皆さんがおりました。皆さん、どんなお思いでいらしているか。それぞれの人生にそれぞれの願いが…。

参道入り口の鳥居を出て右に行き、お蕎麦屋さんで、お蕎麦と(昔の)ラーメンをいただきます。笠間稲荷名物の五目お稲荷さんと蒸かし饅頭はお土産(帰りの旅の友)にします。

 

 

2013.10.24 益子さんぽ市

江戸後期から明治時代に、宮城県村田町に「塩内焼」があったと、大誠窯の若旦那から、教えていただいた。陶片で学んだという。勉強家だ。頭がさがる。登窯にこだわる大誠窯の格式が伝わる。

土師器の盃が売れました。口縁が割れたものをコクソで形造りし、黒漆を何回となく塗り固めたものです。クラフトフェアなので、自分も陶磁器直しクラフトマンになったつもり。金継ぎや銀継ぎなど修復したものを気に入ってもらえるとうれしい(が、正直ちょっと惜しい)

益子焼の蓋付き菓子皿も売れた。辰砂釉の赤の発色と染付のからみがいい。惜しくは作者がわからないが、いいものはいいとわかるお客さんがいてくれました。  

 

2013.9.20 益子さんぽ市 

お昼になる。昼食は陶知庵(田舎料理)3日間予約済、今日は唐揚げが柔らかくボリュームもあり、味も量もちょうどよかった。案内所(事務局)に知り合いの女性がおり、「今日は、若く見えるよ」とおほめの言葉?をいただく。赤いシャツを着ていたからか。実はその女性宅に先ほど、さんぽ市のPRチラシを置いてきたばかりだった。 

大誠窯の若旦那がバイクで来場、3年間同じ登場スタイルだ。

埼玉からお嫁さんをもらったとか。よかったね。私は、窯の後継ぎを心配していたんだ。(これまで女の子を2・3人連れていっていたが発展しなかった。)この若旦那から、一品、産地不明な焼き物の由来を教えていただいた。ありがとう。

2015.9.19益子さんぽ市 

茨城県常陸太田の大甕焼(加茂田章二が昭和30年代当初に在住)も益子の土や笠間の土を使用してきたそうです。

益子には益子の独特の風土(伝統歴史、気質)があり、当方の宇都宮()とは言葉使いでも少し違いがあるのかもしれないと思っています。 

各地から焼き物師が集まるということは、焼き物師にとっての居心地のよさが益子にはあるのでしょうか。 

さて、開会時間間際に同業のワークワーク店が来場。今日は、ご自分で製作する着物の古布リメーク品が中心です。さんぽ市がクラフトフェアでもあるので、マッチした内容である。さっそく山形の工房さんがのぞきに来られたようだ。 

お客さんは、洋服のデザイナーや木綿生地のリメイク屋さん、陶芸家さんなどみなさんが工芸の専門家です。骨董屋として、ふだんとは少し違った営業となりました。 

2013.9.18 益子さんぽ市②

焼き物でつながりがある益子と茨城県笠間は、八溝山地をはさんでお隣り同士、戦国時代には攻防もあったようです。

幕末に焼き物文化の交流が始まり、明治時代には北関東と南東北の窯元との間で絵付けなどの技術交流もあったようです。

益子には宇都宮藩主のお墓もありますが、江戸時代益子は黒羽藩の飛び地でした。黒羽藩の支援があり、焼き物が盛んになってから150年が経ちました。

2013.9.16益子さんぽ市①(共販センター駐車場)

関係者のアジマ氏より参加案内があり、今年も出店しようと張り切りました。張り切りすぎると売る上げが反対になることが多いので、平常心で臨みます。

初日、朝6時に現地到着。会場の配置図が変更になっていました。当方の場所が傾斜しており、アジマ氏と会場の係員さんに場所変更をお願いした。

地の鎮め(気のシズメ)にと、石のお地蔵さんを東南の角に置く。

昨年より出店数は減ったようだが、継続は力なり。地元のサヤドの皆さんの心意気にこたえたい。朝は顔見しりのクラフトマンとあいさつ、知り合いがいるとホット安心する。

2013.8.18 乳母車デビュー・お寺デビュー

次男に長女が誕生して3週間。送り盆に、お寺まで初孫ウータンを連れ、乳母車デビューしました。次男をかわいがった次男の祖父が亡くなり20年、暑くなる前にと9時に徒歩と乳母車で簗瀬1丁目の光徳寺へ。先日、墓石のすき間をコンクリートで埋め掃除を済ませた。

ウチのカド道を出たところで、3年先輩のいつも気さくなご夫婦(お寺からの帰り道)と出会う。盆飾りの数からみるとお寺にはすでに50人近くの檀家さんが来ていたようです。このお寺は、早い人は5時に参詣する。

ウータンママもお寺デビューだ。ウータンは初仕事。感慨深い。

2013.8.16サンプラザ/くさぐさマルシェ③

デーモン閣下と挨拶を交わす。そうか、ギターの一つも弾けなきゃ、露店も人寄せもできないのか。そんな芸の持ち合わせはない。ギターぐらい習ってりゃよかった。どこで芸は身を助けるか、シミジミ感慨深い。

午後3時半、暑さガマン大会の限界でギブアップです。(林さんお先に、申し訳ない。)

お祭りは7時半までとか。帰りはノンビリ鹿沼経由で帰り道。途中、ソバでも食べようという気力もなくボーって帰宅したのです。

2013.8.17 サンプラザ/くさぐさマルシェ②

サンプラザ南側の線路沿いは、早朝暑くなる前か散歩者が多い。

駅前で牛肉を食べ、お昼用のカレー弁当を購入。前夜、氷水を用意し、他に15リットルの水タンクも準備した。今日の荷物は、古書と古布である。雨が降ったら、すぐ片付けできるものだ。会場の駐車場に前日からある車に支障あり。コマ割りが狂う。

右隣りは焼き鳥とスーパーボールの露店で賑やかだ。左隣りの骨董仲間の林氏は、タンタンと店開きだ。昨夜、私が起きた頃に寝たらしい。

地元の「いにしへ骨董店」の砂村氏が顔を出してくれた。差し入れをいただき、ありがとうございます。

午前中は出足がもう一つ。さらに暑くなる。私は車内で横になる。何回着替えたことか。乾かしてまた着る。益子焼きのお店もつらそう。洗面所で頭を冷やし、ステージの演奏に気をまぎらわす。(デーモン閣下の登場に会場が沸く。)

2013.8.15栃木サンプラザマーケット/くさぐさマルシェ

栃木駅西のサンプラザのお祭りに出店しました。連日の猛暑に負けず約30店舗が参加です。いつも思いますが、会場の皆さんのご支援なくて、地域イベントは続きません。サンプラザ関係者の皆様のご尽力に感謝申しあげます。

さて、5:30に会場入りした私は二番目でした。続々サンプラザの皆様がテントを張られていきます。当クララはコマNo.29です。

太陽が出るとやはり暑いが、品物を並べ値段付けて、一息。くさぐさマルシェの仲間は知り合いが多い。骨董仲間のワークワーク林律子氏、熊谷の腰塚先輩、益子焼陶芸家、針金細工家等々多彩なメンバーです。心配なのは人出と雷雨。

2013.8.7岡本駅前一区ヒマワリの花コンクール

 

岡本駅前一区歩好会(矢古宇美那子会長)からお声を掛けていただき、「花咲かじいさんばあさん笑顔コンクール」に行ってお手伝いをさせていただきました。

暑い日になりましたが、連日の天候不順にもかかわらずヒマワリ育成へのご尽力の成果と、住みよいまちづくりへの皆様の情熱を感じました。

地区ぐるみで住民が同じ花を育てるという共通体験は、貴重なものだと思います。同じ種子でも蒔いた時期とその場所により、その後の発育と開花に影響が出るようです。そのような一つひとつが地域の話題となって広がり、また人の交流や地域全体の環境の向上につながることと推察いたします。

20戸の参加を得たコンクールでした。一戸一戸丹念に回られながら、一声をお掛けになる矢古宇会長さんの姿勢に頭がさがります。

「娘が益子のヒマワリの種子をいただいてきたの…」「草ボウボウだったので昨日草刈りしたのよ…」、「暑いからジュース飲んでって…」等々会話しながら、和気あいあいの中、無事コンクールは終了しました。

(花と緑のまちづくり推進協議会・ふらわぁばんくすのつながりから。緑のまちづくり課の皆さんにもお世話になりました。)

2013.7.15 郡山アニエス⑤
以前に、仕入れで会津若松に行く途中、桜を見に開成山公園に寄ったが、まだ桜の開花に早かったことがあった。公園の北側が郡山市役所で、二年前の地震で傷んだ庁舎の修復工事がすんだところらしい。30年前に開成山会館で同級生が結婚式をあげた縁のある所であり、その時は駅から会館まで歩いた思い出があります。

お相手のご自宅はバイパスの東側で、公園がすぐそばです。そのお庭には、ハナミズキやナナカマドの樹木がほどよく植えられ、ふだんの手入れの苦心を感じます。一時間ほど上がらせていただき、お互い両家の交流を深めることとなりました。

この後は移動し、式場となるアニエス郡山の会場を見せてもらうことができました。お相手には、郡山で式をあげるということを尊重してくれるようお願いした。

帰りは郡山インターから、ほとんどカミサンに運転をまかせた。

2013.7.12 郡山ハマツホテル④

格式あるハマツホテルでの両家顔合わせも、両家とも慣れないもので、多少のギコチナサもある中、真摯にマッサラな気持ちで対応に努めた。私はご両親に益子焼の村上東市さんのブドウ文急須を、兄夫婦に相馬焼の法橋さん作の夫婦湯飲みをお土産に差しあげる。無事に顔合わせが終わり、相手方のご自宅を訪問することとなった。

開成山公園を左手に四号バイパスを南下。宇都宮からなら郡山南インターが近いらしい。

2013.7.11 郡山ハマツホテル③

午前11時、私たちもホテルの一室を借り着替える。今日午後は、式が三組ある。午前中の予約でよかった。相手側のご両親と兄夫婦も到着。時間に余裕があり、2家族で思い思いにロビーで記念写真が撮れた。

日本料理店にて両家顔合わせ。当方は兄が山形出張、弟は仕事で欠席で申し訳なく、また素敵な場所の設定に感謝する。細かい段取りは、郡山の父におまかせです。ありがとうございます。

 

 

2013.7.8 郡山へ②
ハマツホテルは、間口が広く、ロビーがゆったりしている。ソファで一寝入りしようと思ったが、カミサンと着付けの時間、郡山駅まで散策する。駅方面、東に向かいなだらかな坂が続き、4号線を渡る。東北郡山の空気は、宇都宮とちがうか。カラッとして澄んでいる。

新幹線なら郡山~宇都宮は40分程度。お相手の実家が郡山市内。今は2人とも横浜で鍼灸師として働く。郡山駅でコーヒータイム。観光パンフレットを手に入れ、式場のある郡山インターそばまでの距離感を養おうとバス交通、ホテルの位置を確認しておく。

 

2013.7.7 郡山へ①

11月に挙式予定の娘の結納のため、カミサンと娘と3人で一路東北道を郡山へ向かった。この朝は午前1時に起床してしまった。身体が緊張している。マズイ。大事な時間に寝てしまいそう。エイっと、店に出掛けた。5時から一時間仮眠。帰宅し、予定の六時半に出発した。9時から娘の着付け予約がある。

東北道で、まず那須saで休憩。道路はすいている。娘と3人、最後のドライブになるか、感慨深い。安積saでもう一回休み、こんな時間が今は貴重になった。ゆっくり走ったつもりが、郡山南インターで降り、8時半に郡山ハマツホテル着。

2013.4.25 上野アメ横から日暮里へ⑧

 夫婦してアメ横好き、フラフラ迷い込み好き。だいたいの道順で前回入店できなかったラーメン店へ入いる。中華丼、麻婆春雨丼、お決まり餃子も注文。

カミサンの中華丼はおいしい。餃子一個で通常の数個分あり、中身がギッシリつまっており味わい深い。何人かが餃子とビールを注文している。満腹です。

日暮里駅東口に移動し、ふだんお世話になっている大屋駄菓子屋に挨拶。本日、お店は休みでしたが、駄菓子がギッシリ、ビックリ駄菓子屋(卸店、一般売り可)さんです。帰りは舟和のアンコ玉を土産に上野駅から帰りました。

2013.4.24 上野さくら祭⑦ そぞろ不忍池 

丸の内キッテから移動し、忍池南側でバスは解散です。こちらも桜が見ごろ、多くの方がそぞろ歩きで夕涼みを楽しんでいます。東京のこの片隅の、冷たい雨の風情がいい。昭和の風情が好きです。

グッドタイミングで池畔で青空骨董市あり。しばしカミサンも忘れて骨董に浸りたいが、新物多し。これらが骨董とは思われたくない。夏の夕涼み骨董市は、今はどうなっているのだろうか。今日は、下町風俗館は休みでした。

2013 .4.21東京さくら巡り⑥ 新名所キッテ

東京駅丸の内の中央郵便局「キッテ」は開店したばかり、満杯のお客さんです。

まずは、1階郵便局から人をかき分けエスカレーターに乗り、吹きっさらしの屋上へ。これまた新装開店の東京駅を鳥瞰、冷たい雨も空気も心地よい。 

奈良県名品店でホウジ茶を購入、郵便局で切手こち亀シートを購入です。 楽しいお店があります。骨董屋の私は、まねできない。

こちらの自由時間は1時間、有楽町西口にあるアジア系骨董店まで残念ながら届かず。カミサンは、日本一地価が高いという丸ビルでトイレ。 東京駅も人気ですね。人垣が波を打つようです。次はいつ、ここに来られるかな。

2013 .4.20東京さくら巡り ⑤  小雨の増上寺

日の出桟橋からバス移動、車窓から芝公園へ15分ほどです。

サクラの名所増上寺、東照宮、東京タワー、東京プリンスホテルを眺めます。徳川家の菩提寺、忠臣蔵浅野遺臣の増上寺の満開桜もソソとしていい。こちらに東照宮があるのは知りませんでした。

みんなが、思い思いに今の風情を楽しんでいる。

ここから、東京丸の内口の「キッテ」へ。外は風が強くなってきました。ガイドさんが運転手と駐車場所について相談しています。2階建てバスの乗客は、雨カッパ姿でした。

2013.4.18東京さくら巡り ④ 墨田公園へ

神田界隈を抜け蔵前から浅草松屋着。ここから水上バスに乗るまで30分の自由時間です。カミサンはトイレへ。 浅草散策の間はない、気ぜわしいかな。しとしと小雨の中でも、いくつかの家族連れ、花見グループは楽しそうにがんばっています。

隅田公園は春ウララ隅田川両側にあり、しっとり桜が美しい。

水上バスも満員。言問橋で一度Uターン、日の出桟橋まで私は寝てしまいました。カミサンとは別席。

2013 .4.17東京さくら巡り ③  千鳥ケ淵

 靖国神社のお参りから、千鳥ヶ淵に戻りしばらく散策。お堀に映る桜の花びらに日本の春を強く意識しました。多くの方がそぞろ歩き写真を撮り、冷たい雨を忘れています。お堀には赤色や青色のボートが、そこだけ時間が止まっているように、アベックをわずかに流していきます。

集合時間までに時間があり、武道館周辺をブラブラ。バスに戻り、美味しい山形牛肉のお弁当をいただきました。 

次の隅田公園まで、バス移動です。(私は座布団持参)

2013 .4.16東京さくら巡り ②  靖国ラーメン

花盛りの田安門から九段坂を西へ進みます。靖国神社では、大村益次郎(村田蔵六)像が出迎えます。長州藩軍神の威光でしょうか。 境内では春欄満に人もそぞろ歩き、桜開花の基準となる樹木をめで記念写真。

私の叔父、カミサンの祖父と叔父も合祀されています。どうぞ安らかにお眠りください。ここで名物「靖国ラーメン」(早めの昼食)と一服。記念にケヤキの苗木500円を求める。心静かに、春めいた気分がいい。

2013.4.15 東京さくら巡り① 北の丸公園

 小雨ふる寒い日になりました。えぃッここぞと、東京の桜が見たくてカミさんと新幹線に乗りました。言い出しっぺの私の支払いです。

東京駅八重洲南口から外堀通りの鍛冶橋駐車場まで歩く。たくさんの観光客です。

私たちは11号車、まずは北の丸公園をゆらり移動して、武道館駐車場へ。武道館では日本大学の卒業式、この雨天に関係者の皆様お疲れ様です。でも桜は満開、雰囲気は最高。ご両親のご尽力に深く敬意を表したい。 

今日一番の目的の靖国神社で参拝します。昨日から桜祭が始まったようです。昨夜の余韻を感じます。(ボンボリ付け真っ最中。)

2013.4.2 益子参考館再建式典②

式典前に、内覧会「庄司の全貌」を拝見しながら参考館内を一回りしました。被災前には見なかった展示品があり、展示内容はより広範囲になっています。 

式典は11時半から、石蔵前広場です。

濱田晋作名誉館長の挨拶に始まり、再建基金代表幹事の小林陽太郎氏(代理)の挨拶、参考館濱田友緒館長の挨拶がありました。 

参考館の主な修復工事箇所は、濱田庄司館(漆喰壁)、登り窯(塩釉窯)屋根、四号館(茅葺き屋根)、登り窯、1号館(瓦屋根・照明・床)2号館と3号館(大谷石壁・瓦屋根・照明・床)などです。

修復された大谷石壁が今は痛々しいですが、何年かでなじむと思います。

2013.3.31濱田庄司記念益子参考館再建記念 

栃木県の誇る益子参考館は、濱田庄司氏が世界中から収集した陶磁器、木工品、古布漆器などの工芸品を展示し、陶芸家を始め工芸家の参考になるよう広く公開してきたものです。

四季折々の庭園の自然の移ろいが美しく、機会あるごとにその展示されている民芸運動の作品と世界の民芸品に親しみながら、浜田氏が一つひとつの作品に出合った時を想像し楽しんでまいりました。

そして残念なことに、2011311日の東日本大地震で建物や登り窯、収蔵品が破損しました。この被災した施設の再建を願う多くの有志の芳志により、この度復旧工事が完了し、関係者により記念式典が開催されました。

2013.3.27栃木市「古市」

栃木市城内町のヤマサン木材で、年に一度の古市に出店しました。主催は、家造りを考える会です。朝6時半会場入り、関係者の作業が始まっています。流木、切り落とし木材、古民具古材が並び、木材会社の雰囲気が新鮮で楽しい。 骨董仲間のワークワーク林さんも到着、他に野菜、饅頭、けんちん汁の店などお祭り雰囲気が高まります。

骨董店の出店は馴染みがないかもしれませんが、主催者自身が楽しんでおり愉快なイベントを作りあげています。出店者も楽しんでいることがわかります。私はウドン、焼きそば、饅頭、けんちん汁とたいらげました。

持ち味を生かして、とにかくやってみること。地域の人が集まれば活気が生まれます。こんなイベントのあり方を学ばせてもらいました。

2013.3.4 真壁まんぷく食堂⑦

先ほどの新宿鍵の辻から旧道経由谷口家を右手に県道41号線へ戻り道です。

 まもなくのマンプク食堂へ入りました。自転車部隊のオバアちゃん三人、カクシャクお食事中です。  子供1歳から、2歳、4歳が店内を転げてます。小上がりにある紫色のお雛様段飾りが、真壁にしてはマブシイ。  

今年も来てしまった真壁、笠間藩の陣屋があったとか、商人であふれた宿場町だったとか。まだまだ蔵を被う青いシートが目立つ真壁ですが、完全な復興を願うばかりです。

2013.3.3 真壁でお腹がすいた⑥

旅籠ふるかわでカミサンと合流、裏庭と土蔵を見せていただく。迷い混んだような気分がいい。ここはおもてなしが暖かい。小さなところを毎年工夫されてる様子がわかる。  着物の端切れでパッチワーク、つるし雛やカバン、ベスト作りなとが相変わらずブームか。そんなお店の入れ替わりが激しそうだ。  

真壁に着いた早々、ラーメンを食べ損ねたカミサンはお腹が空いたと言う。

駐車場脇の季節料理「ひら井」は10人待ち、どっぷりお昼どき。

駐車場のおじさんに美味しい食べどころを聞いたら、ヤキソバ田中とひら井さんを推薦。あとはバイパス周りのお店へ行けとのこと。

2013.3.1 真壁のおまんじゅう⑤

鹿の子饅頭は白川菓子店、桜餅が売れてた。そこの奥さん入り込まないで、私はオバサンにはかないません。名物は、親孝行のあんドーナッツ60円らしい。

真壁はお饅頭食べ比べも楽しい。

 

村井酒造でカミサンと待ち合わせ、版画展を見学。

2年前の大地震の後、1年前にも地震があり真壁の土蔵の大修理はまだ続く。大掛かりな足場が組まれている。村井さんの休憩所がありがたい。

自由行動再開し、逆回りで独り歩きを楽しむ。

後でお互いに、どこ回ったよと夫婦の会話をつなぐ。

2013.2.26 真壁の旅館巡り④ 

私は旅館巡りも楽しみです。橋本旅館、伊勢屋旅館、旅籠ふるかわです。

どちらも個性的な玄関回りをそれぞれのお雛様で身綺麗に飾っています。普段は、用もなく入り込めません。図々しく二階にも上がり込んじゃう。

夜と朝にどんな料理が出るのか、一度泊まってみたい。お風呂はどんな感じかなぁって。 

酒蔵まわりも面白い。村井酒造と西岡商店。酒蔵をちょいノゾキこみます。普段ゲコの私でも利き酒がしたい。濁り酒が甘くてうまい気がする。

旅館も酒蔵も風格がある。

2013.2.25 古道新宿通り③

安達家は、古道新宿鍵の辻にあります。

そこから西の新宿通りにある中村屋は本日は休み、表からガラス戸越しに広い土間や板間、座敷をのぞかせてもらいました。(一番古いと言われる貴重な建物)

近辺には2年間の地震の後遺症が痛々しい旧家があります。復旧工事も足場が組まれ、大掛かりに進んでいるようです。

こうした状況の中でのお祭りの実施に、真壁の心意気を感じます。

 

老人クラブのオバちゃんのお店の赤飯と甘酒を楽しみにしてましたが、今年は休みでした。いつも塀越しにお話しされるおじいさんの姿もありません。

石材店の案内も若い人に変わっているようです。お雛様だけでなく、高砂(ジジババ人形)やハイハイ人形の姿もありました。

真壁の町並みの保存活用と、住民の皆様の人の情けがありがたいと思うのです。

2013.2.24 真壁・安達家の土間②

朝食抜きで来ました。

ソバが食べたいが、名物はスイトン、ヤキソバもいい。

カミサンは煎餅好き、饅頭好き、オツマミ好き、もうどうにでもしてください。

 

いつも寄るお店で、カミサンが刺身こんにゃく、唐辛子を購入。私はガラスの菓子入れ(昭和初期頃)と釜蓋を買い入れほぼ満足。

地図120番の安達家の土間の感触を楽しみ、あでやかなつるし雛と木目込雛を堪能する。お店の方のおもてなしはいつものこと、町と人と建物とこの三位一体の心地よさが真壁の持ち味ではないでしょうか。

私は荷物置きに、自発的に一旦車へ戻る。ここでカミサンと別れ自由行動。

2013.2.23 今年も真壁のお雛様①

真壁の雛祭りも終盤戦、申告書作成も終盤戦、時間を作りカミサンと今年も好きな真壁の町に来てしまいました。平日なら空いてるかなと思いきや、幼稚園児の遠足やらご高齢者らの訪問で、相変わらず人の波です。  

時間は11時、駐車場に滑り込んだ。豆腐屋で豆乳とガンモドキを取り置き依頼。

カナコ饅頭とキムチ、梅干しは後回し、それっ、ヤキソバ田中屋に入る。先客は中年夫婦、注文はヤキソバと醤油ラーメンで、私たちと同じですよ。

カミサンに電話着信、外で長電話中、私がどちらも食べました。会計はカミサン払い。こちらのヤキソバは薄いソース味、魚ソーセージの細切れと白ゴマがかかる。

じまん焼き(宇都宮ではアンコ入りオヤキ)の店頭売りがあり、準備中でこれもまた後回しとした。

2013.2.16「花・緑によるアメニティとまちづくり」研修会

 

今日は、宇都宮市花緑協議会主催の研修会がありました。講師は宇都宮大学農学部生物生産化の山根健治教授です。

花や緑が居住環境に与える影響、「自分が花になったつもり」で、花で楽しく健やかな毎日を過ごす、花の持つ癒しの力と福祉的活用、花の文化(花の素養)に親しむことなどを学びました。

関連情報として、植物の相性、植物ワクチンの開発、植物ホルモン、植物の移動など宇都宮大学の最新活動状況を交えまして報告があり、植物についてより多くの知識を得ることができ、楽しく有意義な研修会に参加できました。

宇都宮の美しいまちづくりを進める宇都宮市花緑推進協議会は、会員[個人、事業所]を募集中です。

2013.2.8海鮮丸講談会・神田昌味さん

先日、東京新宿野村ビル地下の「海鮮丸」で、講談師・真打ち神田昌味さんの講談会がありました。現在、結婚し岐阜県恵那市にお住まいですが、この時はご実家のある栃木県からおいででした。朝8時半の宇都宮駅発の湘南快速で来た私とカミサンと同じ電車では、なかったようです。

慣れない新宿西口で右往左往しましたが、海鮮丸の外壁のショウケースに、昌味さんの旦那さんで陶芸家の小川哲央さんの作品が置いてあり目印になりました。店内にも小川さんの徳利やカップがあり、雰囲気が盛り上がります。お店は貸し切りです。昼食をいただき、観客は約30人。題目は忠臣蔵。昌味さんの心地よい名調子が店内に響きます。

この後、新都心の都庁や京王プラザホテルを見学し、新しい東京駅から久しぶりにアメ横に足をのばしました。

 

 

2013.1.12 ラブコール篠井〝うどんでつなぐ故郷の味〟

今日は、宇都宮市篠井地区市民センターで、「篠井うどん祭り・味比べ」がありました。篠井の特産品手打ちウドンに、地元産のトマト、ユズ、リンゴを混ぜ込み、新しい篠井の味を創出していこうとするものです。

地元有志、センター関係者、一般市民など大勢の皆さんが思い思いにウドンの味を楽しまれたことと思います。多くの報道機関も、おいででした。

私は、ゴマダレやクルミダレも好きです。あったかいケンチンウドン(またはソバ)もいいです。

うどん祭りの前後に、今市の骨董市や徳次郎の骨董市を回り、知り合いの業者と挨拶ができ有意義な一日でした。

2013.1.7もう一つのクラス会②鹿嶋へ 

気持ちのいい旦那様とお二人でのお迎えです。

私は商売がら、大正時代の有田焼取り皿と昭和の益子焼の湯飲みをお土産です。

地震で食器類がほとんど割れてしまったとのことで、喜んでいただけました。Kさんは、ケーキを焼いてきた。 

鹿嶋はお魚が美味しいと海鮮料理や焼き肉のおもてなしをいただきました。 

しばらく歓待を受け、鹿嶋スタジアムを横目に鹿島神宮まで足をのばしました。せっかくの雨で私たちの他に参拝客はおりません。そぼふる叢林が見事に美しく、すがすがしい気分になりました。美しい砂浜(プライベートビーチとか)にも連れていっていただき、帰りの途につきました。

那珂湊の魚市場は、午後4時ながらまだやっていましたので、太刀魚や牡蠣、サンマのミリン干しを買い込んだ次第です。

 

2013.1.5もう一つのクラス会①鹿嶋へ 

隣りの茨城県鹿嶋市に別宅を建てて栃木県と行ったり来たりしている、同級生A女史宅にで遊びに行って来ました。

9時に当久楽楽店に集合出発。美容院を経営するUさん、アクセサリー作家のKさんと一緒です。クラス会では常に顔を見ている3人ですが、女仲良し2人組、多少の距離感のある男・私です。 

雨天で肌寒い日となりましたが、北関東道で一気に大洗へ、海っぺりの国道を南下して約二時間。車中の会話もじょじょに慣れて心地よく、快適なドライブになりました。 

海浜公演のタワーが目印とか。近くまで来て不明確になり、電話で誘導され、別宅ログハウス着です。

東日本大地震で被害があり、高台の地殻に変動があり、受けた大きな被害が修復されたとのことでした。(たいへんな思いをしたらしい。)

 

2012.9.22

益子さんぽ市(最終日)

本日は早朝から雷注意報が出ました。午後は雨天の予報です。

6時に現場に到着し、すでにおいでの出店者と朝の挨拶。前日は欠席のためお隣りの群馬県の方から、もう来ないのかと思ったと言われました。

さんぽ市は共販センター駐車場に開催場所を変えて2年目、会場自体のなじみが薄いのか、まだまだ開催周知が必要かもしれません。去年と比べ当地の益子の陶芸家の出店がないようです。

益子もいくつかの地区に分かれて、各自のイベントを展開するようになり、競い合い、また協力しあって実施しているようです。

主催者も出店者も、町も観光協会も、お互い感謝し合い尊重し合い、この栃木県と益子町を盛り上げていきたい、また県外各地からおいでになる出店者が来てよかったと言えるよう、さらにイベントを充実していきたいと願います。

(大誠窯の若主人には、ご多用の中おいでいただきありがとうございました。)

 

2012.9.20

益子さんぽ市初日

前年に続き2回目のさんぽ市骨董出店です。きびしい残暑と、にわか雨と雷雨注意報に悩まされながらの参加となりました。

先日仕入れた伝統コケシを並べました。コケシは倒れやすく、また日差しに弱い(乾燥ワレあり)ので展示に気を使います。

花巻の煤孫実太郎のキナキナ(オシャブリ)は、小ぶりで独特のかわいらしさがあります。ススマゴコケシでもう一本、椿文の高さ44センチはめずらしいものです。他に弥次郎系の小倉篤、土湯安部シナさん、幸次郎型文市、秋田川連高橋雄司などです。昭和30年代から同50年代に購入したものです。

コケシは、どんどん味が出てきます。古いけど新しく見えて美しいものはなおさらいい。家にあったコケシは、昨年の地震で倒れて(総くずれ)しまいましたが、なんとか観賞に耐えてます。

お昼に食べた手打ちソバ(大盛り800円)が、おいしかった。

2012.8.28

「伝統コケシ」の風情

益子焼の先生から伝統コケシの紹介がありました。秋田木地山の小椋久太郎、花巻の煤孫実太郎、秋田稲川町の小野寺正徳、弥次郎系新山久治、遠刈田新地佐藤好秋など、ほとんどの工人は亡くなり代変わりしていると思われます。

約30本の作品は、昭和30年~40年代に購入されたそうです。

50年経ったコケシは、飴色になり古色を帯びてきます。比べれば昭和50年代のコケシには、残念ながらこの古色を感じることはなかなかありません。

民芸そのものといえるコケシ群の存在感と魅力(かわいらしさ、はかなさ、歴史と伝統)に、あらためて勉強の必要を感じました。

2012.8.11ギャラリー・アート・れい『古美術・古民具展』

栃木県烏山の蛇姫様伝説の残る田園地帯に、オーナー大森靖彦さんのギャラリーがあります。ふだんは、地元の烏山町民の皆様に解放され音楽会を開催されたり、何回かの企画展をされております。

今回8月いっぱい、オーナーが収集された古美術や古民具を展示しており、見学してまいりました。村田整民の手あぶり、高麗青磁厨司、千体地蔵など、私の志向と違った面をご教示いただき、たいへん楽しく学ばせていただきました。ご多用なオーナーで、都合が合いお見せいただきました。

 約束時間前に、那珂川町の川魚店で焼鮎、ウナギ白焼き、鮎の稚魚を買い込み、また馬頭の道の駅でお盆用のホウヅキを買いました。栃木県の八溝地域の楽しいドライブです。

2012.6.4奥日光⑤…ガソリンがない 

中禅寺湖畔に戻りつつ、ガソリンがない。残念ながら中宮祠神社のシラネアオイの花見学は素通り、ガソリン給油。(湖畔にGSは一件のみ)

Aちゃんが華厳滝を見たいとのこと。私は、一人ブラブラお土産店のぞきで、木彫置物や益子焼の値段を参考にする。湖上苑売店に、益子焼作家の村上東市氏の作品がありました。去年の地震以来、観光客誘致に苦労されている。 

いよいよイロハ坂下りです。Aちゃんの気分が気になる。

清滝を通過し、今市インター降りてすぐの、お蕎麦屋さんで昼食。カミサンは、霧降高原のレストハウスで肉料理したかったらしいが、体力的にここで許して。私は会津行き定食、カミサンはケンチン汁定食、Aちゃんはモリウドンです。 

お客さんは、八王子ナンバー、つくばナンバーと広範囲、すごい店です。お蕎麦は細くて固さもいい。ケンチンは作りおきでない、味も自然な煮込み具合もいい。これなら他県の方に進められます。私は足らずに盛り蕎麦追加、ツウフウに負けそう。お腹は満杯、もう眠いよ。午後2時、何とか宇都宮までがんばらねば。(カミサンは運転する気はない。)

2012.6.3

奥日光④…光徳牧場

千手ケ浜で、約一時間過ごし、カミサンは満足げ、よかった。ここで、流木の間に名札を見つけた。住所はわかりそう、今日中に送ってあげよう。

Aちゃんには、私たちがふりまわしているようで申し訳ない。

 

山中にやはり猿がいた。むこうは、人間がまた来ている…か。自然を共有しようね。バス停裏の池ンボの中に緑色のバナナ形の物体を発見する。藻のような、浮いているような沈んでいるような。(実は、クロサンショウウオの卵でした。)

赤沼に戻り、光徳牧場へ。湯元温泉から光徳牧場へは、切り込み刈り込み湖を抜けて45時間のハイキングコースです。私にはツライ思い出。

光徳牧場の牛乳、アイスクリームは、アレッもう一つの味でしょ。

2012.6.1

奥日光③…千手ケ浜

Aちゃんは、次男の友達です。次男は仕事で帰郷できません。一人でよく来てくれました。小学校の遠足以来の日光だそうです。

9時20分発の赤沼バス停から、低公害バスに乗り込みます。小田代、西ノ湖バス停を経由して、25分で目的の千手ケ浜着です。

新緑が新鮮、目の前の男体山は雄大、中禅寺湖のさざ波が朝日に照らされ美しい。

私は砂浜で、オニギリとコーヒーがいい。カミサンとAちゃんは、今が開花のトウゴクミツバツツジ散策へ。6月には、クリン草の群生がきれいな場所です。

私は今のところ痛風気味、カミサンは先日ネンザして十分には歩けませんが、この5月の空の空気は味わえます。奥日光の自然に感謝です。

2012.5.31

奥日光②…塩羊羹

宇都宮環状線から日光宇都宮道路、イロハ坂で、一気に明智平へ。野生の猿がいると、目を合わせるのがコワイ。

ここまで来ると男体山はほぼ全容を現します。

中禅寺湖畔の朝7時半は、まだ人はまばら。赤沼から千手ケ浜までのバスは、8時スタートで、時間があります。

塩羊羮を目指し湯元温泉へ先回り。相模原市橋本小学校6年生がお泊まりでした。にぎやかです。

塩羊羮店開店9時で、今8時。隣のあんよの湯で30分消化し、羊羮店を開けてもらう。開店前でごめんなさい。(お店のおねえさんは、ふきげんそう)

カミサンとAちゃんは、源湯畑を散策。私は温泉神社境内での一服がうまい。桜の花が残る、奥日光の5月の空。

2012.5.30

奥日光①…相模原のAちゃん

相模原のAちゃんが遊びに来てくれました。夜9時半に新幹線で宇都宮駅に着きます。改札口にカミサンが迎え、私は駐車場に車を入れて、居酒屋壱弐参で待ち合わせです。

壱弐参は、宇都宮駅西口のホテルサンルートの一階、手作り料理がありがたいお店で、なじみのサラリーマンや出張客でほぼ満席です。

 

翌日は土曜日、5月の新緑と青空が見たくて、奥日光に行ってきました。

朝ちょい早起き、カミサンはオニギリをにぎり、私はコーヒーをいれ準備オッケー、3人でドライブスタート。

2012.3.7

ウドンでつなぐふるさとの味:篠井うどん祭り(中止)

先日、第20回記念宇都宮篠井地区うどん祭りが中止になりました。関係者が事前に万端の準備と創意を尽くした地域のイベントが、予期せぬ事情で開催できず誠に残念です。

予定していた内容は、手打ちうどん体験教室やうどんの早食い、他にアトラクション(バルーンパフォーム、ソーランセイヤ、さんらく太鼓)です。地区の松寿会の竹細工、雪割会の煮込みオデン、生麺田中製麺など多くの団体や事業所を得た協力体制でした。

でも決してむだになることでなく、宇都宮の唯一のうどん祭りとして、次回の開催に向けてさらに力が結集されることと思います。

北から篠井の風が吹く、ふるさと篠井の発展を祈ります。

2012.1.23

北京故宮博物院200選・東京国立博物館平成館

今日月曜日は同博物館は通常休館ですが、主催者の朝日新聞ツアーに参加して、標記特別展を観賞してきました。先日、4時間待ちの入場制限もあったとのことでしたが、バス同乗者39人で立ち止まることなく、1番人気「清明上河図」をたんたんと拝見しました。

神品といわれる「清明上河図」は北宋時代の市民のはつらつとした暮らしがこと細やかに描かれています。柳の枝葉までいきいきしています。船や山波の曲線にはゆとりとうねりがあり、絵から飛び出て来そうな迫力があります。こちらの現物の展示は24日(火)までです。

また、元染付の青花龍涛文八画瓶のみずみずしさと躍動感、宗画出水芙蓉図のにおい立つ優雅さ、他2時間を楽しみました。

この後、浅草を散策しながらマグロだし汁のソバを食し、水上バスで墨田川を遊覧し、寒い一日でしたがゆったりとした時間を過ごしました。

2011.1.16

浅川兄弟朝鮮時代の美

栃木県立美術館で始まりました、『浅川伯教・匠兄弟の心と眼/朝鮮時代の美』に行ってきました。一つひとつ作品と製作年代を見ながら、大陸性の大らかなで自由な作行を楽しみます。大正期に朝鮮工芸に着眼し、民芸ブームの潮流を作った浅川兄弟の地道な努力に深く敬意を表します。

浅川兄弟の眼に止まったのは素朴で力強い工芸品と、その工芸を生んだきびしい歴史と風土だったのではないでしょうか。朝鮮半島とそこに暮らす人々を愛し続け、その地に身を置き共に生きた浅川兄弟の姿勢が、多くの方に今も感銘を与え続けているのだと思います。

大正期に浅川兄弟が歩いて見て収集した品物は、現在イメージする李朝作品とは違い、しとやかな強さと簡素な美を感じました。図録を求めましたが、座右の書になりそうです。

2012.1.07

笠間稲荷と陣屋骨董

今日は、年初めのお参りに笠間市の稲荷神社に詣でて来ました。年明けて1週間、稲荷神社の人出も少なめになり上殿しても窮屈さを感じません。10時半に宇都宮を出て、正午の上殿になりました。

約40分の余裕があり、稲荷神社美術館の上村淳之展を見学。祖母が松園、父が松篁です。12干支の静かな佇まいの日本画に見とれました。

拝観後、鳥居(地震災害で撤去中)の西側で楽しみにしていたラーメンと名物お稲荷さんを食べ、工芸の丘で松井康成展を拝見しました。人間国宝の独創的で美しい作品に出会えます。

まだ時間があり、久しくごぶさたをしていました骨董バンブーが主宰する陣屋に行き、結城紬や高麗時代の青磁油壺を見せていただきました。江戸中期の青磁猪口があり購入。陣屋はいくつかの店が同居しており、トロロ定食やおいしいコーヒーもあります。

貸しギャラリーもありますので、いつか利用してみたいものです。

いつも素敵な(今日は着物姿の)バンブーエミコ氏です。

2011.12.30

宇都宮市石那田町М氏宅にて餅つき

先日、М氏宅の餅つきにお呼ばれし、半日楽しんできました。水滴収集が趣味の奥様に、李朝瑠璃釉魚形水滴をお持ちしました。

お仲間とご家族が大勢いらして、こちらでは餅つき、こちらではバーべキュウ、あちらでは火燃しと大人は大忙し、子どもたちは手伝いながら駆け回っています。

事前に奥様が久楽楽に来店され、ご招待いただいたものです。М氏のご長男と20年前に柔道をしており、また旦那さんとは写真仲間で中国にご一緒した経過があります。

元篠井小学校長や議員さんご夫婦がいらしたり、にぎやかな一日となりました。

あんころ餠ときな粉餠、タクアン、最後に手打ちソバをごちそうになった次第です。材料は、すべて石那田産自家製がすごいところです。

2011.12.25

「浅川伯教・巧兄弟の心と眼~朝鮮時代の美」展

2012年1月14日(土)から同3月20日(火祝)まで、栃木県立美術館で浅川巧生誕120年記念として標記展示があります。

浅川匠氏は、朝鮮総督府山林課の技手としてその地に勤務し、あるきっかけで半島の陶磁器や木彫、民芸品の美に接し、特に朝鮮白磁の素朴さとやさしさに魅了された。そして柳宗悦氏らと、半島工芸品の保存継承と美術館建設に尽力されました。

また、巧氏と共同で半島陶磁器の研究に取り組んだ兄伯教氏は、半島全土の700ケ所の窯を調査したといわれています。

巧氏は昭和6年に40歳で病死してしまい、内外の多くの方に惜しまれながらソウル市内に埋葬されました。その墓地石碑には、「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中で生きた日本人が韓国の土になる」とあるそうです。民族を超えて活動された功績と今も生きる友情の証をたたえ、来年映画化されるとか。

山梨県にある浅川記念館に、一度と訪れたいと思っております。 

【栃木県立美術館:宇都宮市桜4-2-7、電話028-621-3566】

 

2011.12.23

瓦当(がとう)コレクション

栃木県内の瓦の収集家のコレクションを拝見しました。朝鮮半島(新羅時代)と中国(清時代緑釉)、日本の瓦です。軒先瓦の完品も多くあり、火伏せや雨乞いなどの意味合いがあったようです。

新羅時代に、仏教の伝来とともに寺院建設のため瓦(職人と技術)が伝来しました。丸い柱のような木に布を巻き付け、その上に陶土を塗り固め、叩いて土を締め乾燥。3枚に切って焼きあげた。韓国慶州の国立博物館に人面瓦があり、その奥深い芸術性に感嘆したものです。

他に古陶や陶片もあり、須恵器や猿投陶、瀬戸、常滑(大壺)、唐津(二彩陶片)、伊万里(陶片)、地元の益子焼、また沖縄(袴徳利)や小鹿田(ナマコ釉)まで所有しており、古陶ファンにはたまらないものでした。

瀬戸の鉄釉耳付平盃(朝鮮に同類形あり)、純朴な色彩の沖縄の色絵手塩皿を分けていただきました。沖縄物を一つ手に入れ、これから深く調べてみます。

 

2011.12.04小松冴果さんドイツ留学作品展

中学同級生(韓国旅仲間)の小松千明さんご息女小松冴果さんが、この夏に1年間のドイツシュトゥットガルト留学を終え、帰国しました。そのドイツ留学作品展が次の通り開催されます。

会期/1129日から1211日。

月~土/1000am900pm、日、祝祭日/1000am800pm。

会場/西武渋谷店B8階、美術画廊、オルタナティブスペース。 

パネルから浮き出る人物レリーフの質感、心象的なやさしさ、淡い色彩が印象的です。どうぞみなさん一度ご覧になってください。

2011.11.22

浜田庄司スタイル・益子陶芸美術館

 

1920年にイギリスに渡り陶芸活動を始める半年前に、浜田庄司は初めて益子の地を訪れている。約3年後に帰国、(妻にことわりの手紙を出し)益子に活動の拠点を置く。

理想を求め健康的な作品づくりに、益子の地を選んでいただいた。

浜田の誠実な人柄と大らかな創作活動に、多くの芸術家と研究者が吸い寄せられた。合田好道、村田元、山下清、等々。浜田家には毎日のように訪問者と泊まり客がおり、毎日一定数の地元の饅頭が配達されたという。

そのスタイルは、益子参考館で通常拝見しており、今回は場所を変え数々の作品や遺品が展示してあります。椅子、テーブル、手燭などデザインにこだわった骨太の生き方を感じます。

参考館では何回か、晋作氏から一つひとつの展示品の意義と美術的価値をご説明をいただきました。震災で、今はその復興に多くの方が尽力されています。欲を申しあげますと、復興とともに参考館の図録を再製していただけると、さらに益子における浜田スタイルがよみがえる気がします。(今回の展示品では、沖縄時代の浜田作品を見たかった。)

2011.11.15アイヌ文化を学ぶ(予告)…民具展同時開始 

アイヌ文化の正しい理解を図るため、11月19日(土)、20日(日)、21日(月)の三日間、宇都宮大学生涯学習教育研究センターで、「アイヌ文化を学ぶ」が開催されます。受講料・観覧料とも無料です。19日午前と、20日午後は継続講座「アイヌ民族の歴史」講師北海道教育大学名誉教授田端弘先生の講演があります。

講演会参加には次善の申込が必要です。お問い合わせ等は、同センター電話028-649-5144です。なお、大学祭期間中の公開講座です。 

宇都宮には、江曽島(えそじま)という地名があり、今なおその面影が残ると聞き及んでおります。お時間がございましたら、どうぞご参加ください。

2011.9.7

さまよい西荻窪アンティークマップ

 

知らない街を歩くのが好きです。ドライブも知らない道がいい。初めての街で、初めての風景、初めての人と出会う。こんなスリルが楽しい。ここに骨董店が点在するとなおさらいい。

この日は、水曜日。休みの店が多いようです。皆さんマイペース。開店もゆっくり、おだやかな時の流れに身をまかせ、開いてるお店で出会いを求める。

 

今は、骨董の時代区分もボーダーレス、自分(の生活・生き方)らしくあればいい。

それぞれの店主のこだわりが光る店が光る。東京ほど、専門化。地方はなんでも屋になりかねない。自分の柱は何かを見失ってはいけない。

 

伏見通りから女子大通り、北銀座通り、そして駅南で一服。汗タラタラで、着替えを購入。屋台風のお店のギョウザがおいしそうを、カミサンとがまん比べ。

最終コーナーの「古玩」店で、李朝に出会う。ご主人は、控えめのようでオシがききそう。展示は見やすく、値段の表示もあり丁寧で安心。

 

ここから中野サンプラザ「オールナイトニッポンコンサート」へ。

2010.9.6

中野サンプラザの前に西荻窪散歩から

 

待ちに待った中野サンプラザへ、10:06宇都宮から新幹線に飛び乗りました。

中央線中野駅を通り越し、11:30西荻窪に迷い込みました。駅北口の交番でマップをいただき、カミサンと小さな彷徨の旅です。

伏見通りの西端の奥まったまちかど食堂で腹ごしらえ。カミサンはサバ焼定食、私はおすすめカツオ刺身定食、やさしい味付けとほどよい噛みごたえに、お店の心づくしを感じます。後から後からおいでのお客さんは、常連さん。壁面に写真額まで自由に飾っていく。

お店のお母さんと、どこへ行くとなにげなく話が展開し、中野サンプラザの大田裕美と(得意げに)答えてしまった。おいしいコーヒー豆店の場所の地図まで描いていただいた。さりげなくも暖かいおもてなしをいただき、東京の心地よい一面にふれることができました。

このお店に、入いってよかった。目当ての骨董店群はお休みか、まだ開店前が多い。

2011.8.07

漆に失礼

 

かゆいと思っていたら、どうもおかしい。通院したら毛虫でした。2週間不調でした。

台風で折れた柿の木の枝にいたか、できもしない庭木(特に松)をいじった時か。

 

3回目の漆教室では、おはしに漆を重ね塗り。2週間後にもう一回塗り、最後に磨き上げの予定です。同時進行で、陶磁器の直しについて勉強しております。

漆は、乾くまでじっくり時間をかけます。今の作業が、最終的にどうなるのか。

漆の線は、どうひくのか。関心は広がります。

 

2011.07.20

漆に負けたかな2.

 

漆教室でお箸を作成中に、漆が着いたままの左手の指で首筋をかいてしまい、かゆみが広がっています。またこの台風の影響で肩と首筋が重いです。(電動肩もみ機を使用したことが悪く出たかもしれません。)

 

漆教室では、生漆に小麦粉や豆腐を混ぜ込んだりして、初めての体験に違う世界(プロの技)を感じています。先日、お箸の下地塗りと貝殻の貼り付けをしました。後2回漆を塗る予定です。併せて、陶磁器の直しを学ぶ予定です。

2011.07.05

漆塗り教室1.

 

7月から9月まで計6回の漆塗り教室に参加を始めました。

事前体験も含め2回出席したところですが、5日間ほどカユミが残ります。

漆が貴重な資源であること、体に無害であること、空気中の水分を吸収し固まる性質など基礎から学んでいます。漆で線を引く、漆で絵を描くのは何とも難しい。

 

先日は、お箸のデザイン作りの下地塗りをしました。初めて聞く専門的用語から勉強になります。今まで中途半端な意識で漆に関わっていたことを、反省しています。最終的な磨きの手法まで理解し、陶磁器の金直し(金継ぎ、銀継ぎ)に役立てたいです。

2011.06.27

アイヌ文化を学んでみよう

 

平成23年度宇都宮大学公開講座で「アイヌ文化を学ぶ」が開催されます。11月19日から21日までの3日間、受講料は無料です。

去年同大学祭でアイヌの資料展示があり、衣服や食器、小刀など拝見しました。今回は同大学生涯学習教育センター教授の廣瀬隆人先生と、北海道教育大学名誉教授の田端博先生が担当講師で民具展と講義があります。

日本の先住民族である、アイヌ民族の歴史と文化を講義で学びながら、アイヌの生活民具にふれてみたいと思います。

ご関心のある方は、同大学生涯学習教育センター☎028-649-5144までお願いします。

2011.4.26

<陶磁器修理>

 

3月の地震で破損しました陶磁器3点の修理が終わり、今日届けました。

白磁茶碗金継ぎ直し1点、益子焼の水滴と皿鉢の銀継ぎ直し2点です。

水滴は注ぎ口周辺の直しで、修理個所が小さく、また微妙なラインと縄目文様で自然な雰囲気づくりに気を使いました。

作者の作品を数多く見ていたことが幸いでした。同じ作者の益子焼皿鉢は、陶板で縁が立ち上がり、口縁の裏側のソリの曲線の形成が困難でした。

時に、直しに紙ヤスリなどを使用しますが、特に土物は本体を損ねないよう余分な力は禁物です。

 

この地震の続く時期に、直しの品を預かるのも心配ですが、依頼主に今回の直しを満足していただき、ほっとしました。再度、信楽焼の壺と笠間焼の大鉢、鉄釉瓶の修理の依頼がありました。

 

 

2011.04.07

<大谷石塀の補修>

 

先月の地震でずれていた大谷石の門柱と塀の補修を行っています。

朝と夕方、3日間でなんとか気がすみました。昭和30年代と同50年代と2か所の大谷石塀があります。他に灯籠がいくつか倒れ、そのままですが、人にケガをさせたわけでなく、胸をなでおろしました。

 

宇都宮東部の鬼怒川から東の清原地区は、相当な痛手です。大谷石の蔵、土蔵が崩れてしまい、中に入いれない状況があります。屋根の多くが崩壊し、雨漏りを防ぐビニールシートの覆いが目立ちます。

蔵や古民家で営業していた骨董店の損害は、想像がつきません。

若い頃から品物を集め、いよいよ骨董店を開いて、これからという仲間もおります。倒れた塀で車にも損害があったようです。早い立ち直りをお祈りしております。

 

※大谷石塀の修理をした際に、セメント粉を吸い込んでしまい、せき込みました。バイ菌が入いり通院投薬し、復調しました。皆さんどうぞお気を付けください。

 

2011.03.18

 <避難者の方へ>

 

明日、自宅の隣家に避難者の方が来られるお話しをいただきました。(栃木県が家屋の提供を呼び掛けているようです。)

当方で協力できる範囲で、布団、食器、座卓、椅子などを用意しました。3家族で3台の車で移動されているようです。いくつかでもお使いいただければ、ありがたいです。

 

昨夜、福島県福島市飯坂の駅前にあります、友人のツタヤ旅館亭主から状況を聞きました。予約のキャンセルが続いていたところ、避難者の受け入れを行なったこと。地震直後は部屋と布団の提供しかできなかったが、まもなくお風呂が復旧し、多くの方に喜んでいただいたこと。

何より、来ていただいたお客さんに感謝することに気付いたことなど。

 

今、自分にできることは何か、少しでも復旧に努めたいと思います。

 

2011.03.12

<地震>

 

各地の災害の放映は、同じ国民として大きなショックです。

積み上げてこられた家庭や財産と、何より大切な人的な被害に、お掛けできる言葉がありません。

 

栃木県宇都宮市でも、一部停電が続いています。水とガスが復旧しておりますので、幸いです。当家は庭の灯籠が倒れ、隣家駐車場に穴を開けてしまい、また門柱の大谷石がずれてぐらついておりましたので、今朝方ロープで補強しました。

 

店内の商品も大きくゆれました。ガラスケース内の猪口、コケシが倒れ、文箱類が棚から落ちました。今は危ないものは、床に置いてあります。何人かの方から、商品は大丈夫かとご連絡をいただき、ご心配をいただきました。

 

全国的に、これ以上の被災がありませんことを、お祈りするばかりです。

2011.01.31

<CRT栃木放送出演>

  

本日、当久楽楽で11時半からの生放送、11時から事前の打ち合わせがありました。

久楽楽を5年前に開店した際に、満金留男さんには開店記念ステージで公演をお願いしたこともあり、こんなお付き合いでお互いに気心は知った仲です。

本番中は、満金さんのリード話しに乗り、こちらは思うまま、自然のままです。

 

中国漢時代の白玉狗置物、晋鶏冠壺、江戸時代の象牙饅頭根付、寺小屋教科書の往来本、大正時代の扇風機やキリンビールの石版ポスター、朝鮮半島新羅時代の瓦などを併せて紹介させていただきました。

 

予定からそれそうにもなりましたが、最後は相撲甚句で締めていただいた10分間でした。ラジオをお聴きの皆さんに、何か一つでも心に残るような印象的な言葉でもあったらよかったなぁと思いました。

2011.01.24

<薩摩焼400年>

 

日本橋三越で開催されている沈壽官展に行ってきました。

宇都宮駅9:08発新幹線で、三越新館開店前に到着。すでに多くの観覧者がおいでです。パリで開催した「歴代沈壽官展」の帰国展だそうです。

私は、白薩摩を楽しみにしておりました。象牙のような肌の気品とぬくもりが好きです。明治時代の12代が考案したという、透かし彫りと浮彫の緻密で丹念な技法にびっくりです。

また、「白磁観音像」、「ネズミを見つめる母娘像」や「一服している大原女」など、愛情と日常の生活感があふれる作品も面白く、幅広い作行きを堪能しました。

 

この余韻と三越の雰囲気を胸に残しながら、地下鉄を乗り継ぎ築地場外市場へ向かいました。月曜日ですが、人出がすごいです。目当てのラーメン店は狭い歩道に30人も並んでおり断念。お隣のお店で醤油味ラーメンを食べましたが、十分満足しました。それに卵焼きとアサリの佃煮をつまみ、お土産に生ラーメンなどを買い込み、夜は家で塩味ラーメンでした。

 

しばらくぶりの愉快な東京散歩でしたが、さて次は、どこにしましょうか。

2011.01.06 

<祥伝社・休日は、骨董>

 

祥伝社『休日は、骨董』という骨董入門書に、当久楽楽を取り上げていただき、早や3年が経ちました。

美術品好き歴史好きは、数多くの骨董品を見よう。そして、できたら気に入ったものを手に入れてみよう。そんな冒頭から、自分の眼を磨いて行こう、第二の生き方としてもう一歩、プロの骨董商になれるかも、と 骨董業への足取りをしたためてあります。

筆者は、テレビ出演と各種の骨董古美術講座やセミナーで高名な細矢隆男先生です。

 

『休日は、骨董』を読みましたと、ご来店いただいた方、メールをいただいた方がおり、感謝の念にたえません。多くの方に支えられています。

骨董商とお客さんと骨董好きが集い、話の輪が広がります。骨董は、年齢差を超えた一つのコミュニティです。多くの骨董ファンと交流して、今の自分の骨董の世界が、どう広がるか。どこへ飛んでいくか。

今の世界、今の知識でいいと漠然としていると、今で止まってしまいます。

知らなかった観点、新しい知識、思いもよらない深み、新鮮な魅力を伝えていくため、日々勉強しかないと思っています。

 

 

2010.10.31

<義母の誕生日>

 

今日、義母の85歳の誕生日で、益子焼の作家田中正生氏の湯呑をプレゼントしました。5年ほど前に、田中先生が塩釉窯を新たに作られた際の初窯作品で、透明感のある茄子紺色の釉薬が細かく縮れ、ほんの一部鉄分の茶が発色しており、あきることのない雰囲気があります。高台内に初窯の銘があります。

初窯作品をふだん使用すると、病気にならないという言い伝えがあります。幸い気に入っていただき、ありがたいことです。

欧州から浜田庄司先生がその技術を持ち帰り、益子に根付いた塩釉作品です。

以前に差し上げた、村田元先生の鉄絵湯呑にいたみがありましたので、これを持ち帰り修復して、またお返ししたいと思います。

 

戦時中、満州に看護支援に派遣されていた義母です。戦後、地域青年団と遺族会で活躍されてきました。今でも誰からも頼られる義母です。

2010.10.10

<南宇都宮…碧風窯>

 

陶芸仲間2人と、南宇都宮駅前の悠日ギャラリーで開催している、我妻淳陶展に参りました。作品は青白磁で、釉薬はトルコブルーが中心です。現在、輪花に取り組んでいるとのことで、力作(自信作)を拝見しました。

5年前、栃木県那珂川町(旧馬頭町谷川)に碧風窯を開窯。栃木県と茨城県の県境で、猪除けフェンスに囲まれた農家風の家で作陶活動しています。

友人が盃とコップを購入し、共箱を依頼するようでした。益子の秋祭りの11月6日に、また出会えると思います。

会場で、子どもの本の会の皆様に(知人)に出会えました。こうした交流も、展示会の楽しみかもしれません。

益子秋祭りにお出かけでしたら、見目窯敷地内に我妻作品が展示してありますので、どうぞお声を掛けてください。

2010.10.01

<骨董の旅…大阪京都2.>

京都では早起きして、散歩しながら北野天満宮骨董市へ。奈良の骨董店主から信玄袋を購入しました。

京都の交通網は不案内ですが、次に京都国立美術館で河井寛次郎展を鑑賞し、続いてぜひ行きたかった河井寛次郎記念館へ。寛次郎邸の雰囲気を味わいながら作業場や登り窯を見ました。

最後に京都国立博物館です。若冲の鶏の図の迫力に圧倒されました。この鶏の前では、衝撃に動けなくなります。

駆け足の大阪京都の旅でしたが、実際自分の目で見なければ作品の大きさや輝きはわかりません。いいものを見ないと、いいものがわかりません。

自分の財産になる、とっても有意義な旅でした。

 

2010.09.30

<骨董の旅…大阪京都1.>

 

骨董店を始める直前に、新幹線で大阪へひとり旅に出かけました。大阪は35年ぶり2回目で、何が何だかわかりません。

目的は、大阪市立東洋陶磁美術館です。朝鮮半島と中国の1級の美術品を見ておかないとと、骨董の先輩から助言があり意を決した次第です。

新幹線駅から地下鉄で中の島へ。この美術館は、適度な展示数と館内のひろさでゆとりを持って鑑賞できました。

何といっても、飛び青磁の優雅さと気品です。これを目に焼き付けます。

図録は、事前に取り寄せておきました。

 

もうひとつの目的は、大阪で始まっていた古民家の店舗等への活用の見学です。

町の食堂で大阪下町の料理を味わい、市場を見学して、いろいろな店舗を拝見しました。一軒の古民家に何店舗のお店があります。京都の町屋の活用と通じるところがあるようです。

今夜は京都の西陣泊です。気もそぞろに京都へ向かいます。

2010.09.29

<骨董の旅…ベトナム4.>

 

ホーチミン市美術博物館の入り口にあるレコンキエウ通りは150メートルほどで、両側に骨董店や画廊が並んでます。

ここで「グェン・ファン・チャン」の絹絵を2点購入できました。1960年頃の作品で、素朴で詩情あふれる市民の生活を描いたものです。画面を何回か洗い絹に顔料を定着させて、落ち着いた色彩とやわらかな表現の作品を描いています。

ベトナムも漢字圏でしたので、中国の影響か漢詩が書いてある絵画もあります。ベトナム建国の父ホ-・チ・ミンを主題とした作品も多いです。

グェン・ファン・チャン(1892~1984)はインドシナ美術学校の一期生となり、絹絵を発表。ベトナム近代美術を開いた彼の作品は、日本の福岡アジア美術館にあります。チャンの作品以前の絵画は、肖像画や仏画が主流だったようです。

 

中国や韓国と同様に古美術品の国外流出を防ぐため、規制がありますので留意しましょう。象牙、虎の牙、べっ甲も規制があるようでした。

レロイ通り沿いのトゥンサー・タックスの2階のスーパーマーケットで、ベトナムコーヒーを入れる容器(ステンレス製とアルミ製)と刺繍入りトートバックを買いました。ここはトイレもあり、休憩できます。

「ホテルニッコー」も「シェラトンサイゴン」も最高のホテルでした。チェクインしますと、どちらも果物が山盛りで置いてありました。

一夜、ダブルブッキングしたらしく、夜中にドアボーイが2回入いってきました。ジャパニーズスタッフからお詫びにと、また果物山盛りが届いたことが忘れられません。

2010.09.28

<骨董の旅…ベトナム3.>

 

ホーチミンの街かどに、多くの画廊があり、道端で若い画家が油絵を描いています。ドライブインでは、漆絵の展示場もありました。戦争と平和に関する図柄も多いです。

 

ホテルからタクシーで10分、「ホーチミン市美術博物館」へ。正面はヨーロッパ建築で大きなテラスがあります。

陶磁器は中国の影響を受けてきたようですが、大阪の東洋陶磁美術館の青花双鳥文盤など鳥や、魚、動物、人間の動作、また染付がにじんだ絞り手など生き生きした気取らない自由な図柄に安南の民俗性を感じることができます。

日本の織部釉がベトナムの緑釉から伝来したということですが、なるほど13~14世紀には織部に似た緑釉があるようです。

ビンロウ(噛みタバコ)の灰を入れておく「ライムポット」は、手付きの丸い形で高貴な人ほど大きいライムポットを使用するとか。

高さが直径30センチのものが展示してあり、びっくりしました。

私は図録を何冊か購入しましたが、他の方が同じ図録が買い手により値段が違うと言ってました。こんなところがベトナムにはあるのかもしれません。

 

地下の売店で、ドンホー版画を購入しました。これはベトナムの民衆版画で豚や鶏、人物の図柄で、いましめや啓蒙、願望が描いてあります。

後日の東京ステーションギャラリー「ベトナム絵画展」での資料から、この時購入した版画は30年ぐらい前のものだと推測しました。

2010.09.27

<骨董の旅…ベトナム2.>

 

ハロン湾まで何時間か、はるか遠く大型バスが国道2号線を走ります。

国道とはいえ、半分は砂利道。道路脇の深そうな水たまりで水牛が水を浴びています。ドライブインは、お客が来るとシルク裁縫の女性たちが仕事に動き始める様子がわかります。

このドライブインに、骨董品(発掘品か)が棚に並んで置いてありました。染付小壺、灰入れ壺(ライムポット)、鈞窯盃などです。結構な値段を言います。

途中に焼き物の町(位置的にバッチャンではない。)などがありましたが、何事もなくバスは、そこのけとスピードをあげます。

クルーズや景色より骨董品がいいのですが、ハロン湾でお土産に絵葉書を買いました。船内でハロンシーフードを食べました。

やっとの思いで、ホーチミンに戻りました。私にはおしりが痛く、つらいハロン湾になりました。

 

ホーチミンはぶっそうで、100メートル行くのにもタクシーに乗れとか。確かに、タクシーの窓を開けておくと、人の手が入ってきます。

現地の子が日本の小銭を持っていて、ベトナムドンに替えてくれと盛んに両替をせがみます。こちらも今は小銭は不要ですし、財布を開けたとたんどうされるかわからないし、どうも同意できません。

土産店では日本人の女性が店長をしており、国際化を感じました。

2010.09.26

<骨董の旅…ベトナム1.>

5年前にベトナムに出掛けた時の日程表です。

 1日目 11:00成田発→15:00ハノイ着…ホーチミン廟、旧市街他、ベトナム料理、ハノイ「ホテルニッコー」泊。

 2日目 世界遺産ハロン湾クルーズ→ハノイ泊

 3日目 11:00ハノイ発→13:00ホーチミン着…中央郵便局、他市内観光、フランス料理、ホーチミン「シェラトンサイゴン」泊。

 4日目 自由行動(ホーチミン市美術館、レコンキエブ骨董通り)→23:55ホーチミン発、機内泊。

 5日目 7:25成田着

 

初めてのベトナムに、できるだけ骨董古美術調査を進めましたが、どこに骨董店があるかは、ホーチミン市美術館前のレコンキエブ骨董通りだけしかわかりません。

ところが、ハノイのホテルニッコー前に1軒ありました。ここへ通うたびに、店の上のフロアーに案内されました。

1回目は1階のみ、2回目は2階へ、3回目は3階へと。1階は品物が雑多に並び、2階は仏教美術、3階はケース内に高価なものがあります。

2階から3階へと少しづつ居住くさくなりました。この店で、安南トンボ手茶碗を何点か拝見。高台内は褐釉です。日本からの発注品とか。

ハノイには20軒の骨董店があるようでしたが、他の店やハノイの旧市街を散策する余裕は、ありませんでした。

ベトナム戦争の影響でか不自由な方が多いようですが、この方たちが働く姿をたくさん見ました。

2010.09.25

<骨董の旅…平戸~伊万里2.>

北九州3日目、今回の目的の平戸焼資料館と松浦家資料館を見学。

献上品でした江戸期の精緻な平戸焼を見ることができました。操業旅行生や観光客が大勢おります。

レンタカーで市街を走るのには、街はこじんまりして道は狭く坂が多いです。

 

この足で、伊万里まで2時間。残念ですが、なかなか唐津へは行けません。伊万里市で大川内山を見学。いろんな青磁を見ることができました。大正時代の平戸焼を2枚購入しました。

平戸焼は、藩は違いましたが山一つ向こうであり交流があったとか、江戸時代に京都の絵師が流れてきたとか、そんな貴重なお話を伺いました。

 

武雄に戻りながら、有田で佐賀県立陶磁博物館で柴田コレクションを見学。事前に図録を取り寄せておきました。ありがたいことに入場料が無料です。

武雄でレンタカーを返却、博多に戻り飛行機で帰りました。

 

2010.09.24

<骨董の旅…武雄~佐世保~平戸1.>

 

ある年、仕入れのため北九州へ参りました。

博多駅から長崎本線で1時間余、武雄駅に降ります。この日は駅からのんびり徒歩10分の旅館花月泊です。

 

2日目、レンタカーで平戸へ。途中、佐世保市内で骨董店をのぞきます。平戸焼の前身という中野焼を見せていただきました。

中野焼は、西有田産というお話しもありますが、貫ニュウのある染付陶器です。

佐世保の町の食堂で、ナルトが乗った皿うどんをいただきました。

 

佐世保から平戸まで車で2時間、海沿いの道を走ります。東シナ海の眺望が広がっていきます。日差しは、からっとしたまぶしさで、空気に透明感があります。平戸大橋を渡り、平戸市へ入いったところにお土産やがあり、川上澄生の版画がありました。ここのご主人がコレクターで、他に全国の土人形が2階の1部屋にびっしり展示してありました。

平戸市街の骨董店2店で、青磁アワビ形向付と平戸焼白磁水注を購入。

今夜はビジネスホテル泊です。地元の方の紹介で、おいしい居酒屋で夕食としました。

 

2010.09.20

<骨董の旅…骨董誕生2.>

 

2006年初夏、渋谷区立松濤美術館が、開館25周年記念展「骨董誕生」を開催し、古色を帯びた、味わいのある品々を展示しました。

何でもないようなものに美を見いだし、価値観に相違のある美を個人の感受性へ問い掛けてくる。既製の価値観にとらわれない、自分が一番居心地のいい、生活空間の創造へと、発想が広がって来ます。

 

これは一つの自己表現であり、気楽に毎日の生活にやすらぎと潤いを作ろうという、庶民の可能な願望ではなかったでしょうか。

私の胸にドーンと来たのは、唐津焼盃「虫歯」。このかしいだ形とネーミングに、立ちくらみした。そして、「デルフト焼色絵ジョッキ」です。口縁の無数の金直しに、そこまで使い込んだ積年のいとおしさを感じました。

2010.09.17

<骨董の旅…旧白洲邸武相荘>

 

今年の2月、子どもの引っ越しで相模原に行く途中、町田市鶴川の旧白洲邸「武相荘」に立ち寄りました。白洲次郎と正子夫妻が、昭和18年に住まいとした家屋で、小高い丘の上で、うっそうとした林に囲まれています。

宇都宮を6時半に出発、目前で迷うも10時のオープンに間に合いました。

長屋門を抜け、母屋の土間から入いり、囲炉裏のある表座敷、奥座敷、納戸、書斎へと進みます。

15畳の表座敷には、むぎわら手などの陶磁器や木器、10畳の奥座敷には着物が並びます。納戸にはぎっしりと書物、この奥の北側に面したところが書斎です。

随筆家の白洲正子が関節炎を患う晩年まで、執筆していた座卓と万年筆があります。約1時間屋敷内を見学、余韻にひたりながら記念にガラスコップを購入しました。鶴川駅前で食べた、回転寿司が忘れられないおいしさでした。

 

2010.09.13

<骨董の旅…会津若松市2.>

 

  田事は、わっぱ飯も有名です。朝食からウナギせいろわっぱをいただきました。お昼は、予約が必要です。

本郷焼の宗像窯に寄る予定でしたが、大内宿の混雑を予想し早めに大内宿へ向かい9:30に着きました。早くも駐車場は満杯に近いです。

観光道路が整備され、会津若松方面から近くなりました。5月の連休やお盆前後、紅葉時期は渋滞で3時間かかるようです。道路沿いにいくつも簡易トイレが用意してあります。

江戸時代に参勤交代で大名行列が宿泊した宿場がそのまま残る、国の重要保存地区です。民宿もあります。

こちらの名物の高遠蕎麦(ネギ1本をかじりながら、このネギをお箸代わりに食べる)も捨てがたい。大内宿にも古いものを販売するお店があります。見逃せません。他に、栃餅、蜂蜜、ニシン漬けがあります。

20年前、高遠蕎麦は500円でしたが、今は1.000円くらいです。冬季は積雪で、私は行けません。

 

 大内宿から下郷道の駅でひと休みし、30年の年月をかけて開通した那須甲子トンネルを抜けて、白河インターから東北道で帰りました。宇都宮インター近くの蕎麦百姓屋に入いり、やっぱりお蕎麦でしめた次第です。

2010.09.12

<骨董の旅…会津若松市1.>

 

今年新緑の6月、毎年行っている同級生会で福島県会津若松市に参りました。11:00に宇都宮駅集合、車で東北道を北進、郡山ジャンクションから磐越道を西進し、約2時間で磐梯インターから猪苗代湖沿いに進み、河東地区強清水でお蕎麦をいただきます。

 

強清水は、旧江戸街道と旧二本松街道の分岐点で、幕末の戊申戦争で維新軍が会津藩に攻め込んだおりの通り道です。ここの峠道に自然の湧水が湧いており、ありがたいことに容器があれば湧水を持ち帰れます。地元の方々はこまめに汲んで行かれます。水がよければ、蕎麦もよし。お茶コーヒーもよし。

泉の目に前にお蕎麦屋さんが4店あり、お蕎麦はもちろんおいしく、また名物郷土食のニシン、イカ、饅頭の天麩羅がとてもおいしい。

9:00開店で、例えば宇都宮を6:30にスタートすれば、水を十分に汲んでちょうどお蕎麦で朝食をいただけます。

磐梯山の恵みのこの水は、冷蔵庫で2か月もちます。盛り蕎麦と天麩羅盛り合わせと湧水を、ぜひご賞味ください。

 

ここから峠道を超えていけば、飯盛山参道近くに抜けられます。

会津若松では、さっそく今夜の宿泊所の割烹旅館田事(たごと)に荷を下ろして、七日町通りを散策します。七日町に骨董店が何軒かあります。

野口英世青春通りには、地元の版画家斉藤清の作品を中心に展示したギャラリーがあります。

田事は私は4回目(宿泊は2回目)ですが、郷土料理のニシンの酢漬けがおいしいのです。ご高齢のご主人のこだわりと奥様の懇切丁寧な応対に、頭が下がります。

夕食には、信じられないような幸せ感たっぷりの料理をいただきました。

2010.09.10 

<韓国骨董の旅…慶州>

 

1000年前の新羅時代の都が慶州です。

風致地区で、屋根瓦、土塀と街並みすべてが保存され美しい。

ウリナラ(我が国)のナラ()は、なるほど奈良かと思うほど、四方を小高い山に囲まれた盆地で、奈良と風景が似ています。

慶州駅前辺りから、古墳公園周辺などへと骨董店が移転してました。大陸と地続き、中国古美術品も古来より流れ込んでいるようです。

 

古墳の壁(レンガ)も骨董品として店頭に並び、文字(男、福、寿など)や龍、花が刺繍された絹ポジャギもありました。

けっこう骨董店があります。民家で家屋内に品物が並ぶ店がありました。天井は低く、土間や居間に陳列されています。陶磁器が多いですが、宗教的な民俗木彫も雰囲気がいい。値段はソウルと変わらないようです。

 

普門湖の北側で食べたムルネンミョン(水レーメン)が、さっぱりしておいしかった。同じホテルで、サムソン電気の研修会を開催しておりました。その参加者(新規採用者か)は、エネルギーはつらつです。

以前は、セマウル号でソウルから慶州は4時間でした。車内で駅弁を食べておりましたら、地元の方が何か言っています。匂ったか、さて品がないと思われたか、しかられたようです。

 

 

 

2010.09.09

<韓国ソウル…同級生4人旅>

 

去年の9月下旬、日程を合わせソウルで同窓会を開催しました。

札幌から女性1人(ピアノの先生)、東京から女性1人(英語の先生)、宇都宮から男性2人(1人は独身部長)で計4人、羽田に集合です。

中学卒業から35年、それぞれなりに成長したのか、あるいは高齢化直前で気は若そう。ママ2人は、骨董好き。

 

ツアー(中身はフリー)に参加し、金浦空港から送迎バスで国都ホテルへ。さっそくロッテホテル北側の焼き肉街へ。

札幌ママはツブ貝好きソウル2回目、部長は放浪癖ありソウル3回目、東京ママは童話作家でもあり、どんな旅になりますか。仁寺洞からさんざん歩いて夜は、明洞でまた焼き肉。ホテルが近くすぐ帰れるから、いくらお疲れでもまだいい。

 

2日目、男子は朝が早い。女子は夜更かしおしゃべり朝遅い。男子は5時起きで東大門方面へ散歩、朝食。女子を待っていられない。男子の昼食と女子の朝食が同じテーブルになる。これは予定外です。2日目に計画倒れ。

男子は朝と同じ焼魚定食屋さんで、また昼食をとる。お店の旦那さんもびっくり、それでもおいしい。サバ、アジ、イシモチ、サンマ…だいたい400円~500円。このお店のエゴマの葉の漬物が何回でもおいしいのです。

東大門から歩いて東廟の骨董店へ。鳥形のナイフを購入。この形はアイヌのナイフとそっくりにびっくり。

夜は仁寺洞でチヂミ、韓国喫茶で同窓会気分にひたった。

部長は、日中本屋を探していた。

 

3日目、南大門市場で朝食(といっても10時、男子は昼食である)。この朝、男子は南山韓屋村公園まで散歩、ついでにギョウザと海苔巻で朝食すませた。部長は、単独行動に出る。本屋目指して自由散策へ。

他3人は、お土産の韓国ノリ(ママ2人)を手にタクシーで国立中央博物館へ。屋外で童話展を開催しており、ここで東京ママ行方不明になる。まもなくホテルチェックアウトの時間ですよ。

無事4人、ホテル集合。金浦空港レストランでサムギョップルでしめる。東京へ。羽田からの帰り、首都高速でガス欠気味になりながら夜中2時に帰宅しました。

2010.09.05 

 

<韓国の旅…安東河回村>

 

ソウルから高速道路で3時間余、山間地と田園風景を抜け、あこがれの「安東河回村(アンドンハフェマウル)」へ。

慶州への骨董買い付けの途中、ある年の3月に、李朝時代が生きているという民俗村に立ち寄りました。韓国の男優リュウ.シオンゆかりのお屋敷(入場不可)があります。

 

河東江にぐるり囲まれた村は、国の重要民俗資料に指定されておりましたが、最近、村全体が世界遺産に認定されました。

藁葺き民家に、そのまま600年の歴史を有する住民の生活文化があります。

中まで、入いってはいけません。それでも観光食堂や宿泊所(民泊)があります。

庭は家の中と一体化して風が吹き抜け、草木が春の訪れを誘います。美しい壁にはさまれた、ゆるやかなカーブのある道を歩きます。

見上げるような高さのブランコがあり、畑や木々の間を幸せを運ぶという鳥(カササギ)があちらこちらで飛んでいます。

 

韓国で一番韓国らしいと、1999年英国のエリザベス女王が訪問されたとか。

東海(日本海)でとれたサバを、安東で加工してソウルへ運んできたサバ街道で、おいしい焼きサバをいただきました。

 

いつか秋の仮面祭りを拝見しながら、この地に宿泊して骨董を見つけたいと思います。

 

2010.09.05

 

久しぶりに宇都宮市平塚町の『緑花木センター』

で行われた骨董市にまいりました。

久楽楽の店主に挨拶をと思いおじゃましたのですが

店主は忙しそうで声をかけづらい雰囲気・・・

 

落ち着いた時間を見計らい

昼食を一緒にとりました。

店主はカレーライスが品切れだったので

少しがっかりされていたようなww

 

にぎわっていたので

挨拶もそこそこにおいとましましたが

暑いなか出店されていた方々

本当にお疲れ様です。

(写真は、栃木県栃木市の梓焼です。)

 

 

 

 

2010.09.04

<韓国ソウルの旅…南大門>

 

ソウルの朝食は、南大門市場のなんでもあり食堂か、東大門市場の焼魚定食か、鐘路の里門ソルロンタンが多いです。散歩のついでに、韓国の味が欲しくなる。

韓国のお粥は味がうす目、ぬる目でどうも合いません。

 

私は何がなんでも豆腐チゲ、カミサンはウドンと海苔巻。

先日は、朝からサムゲタンとタットリタン(鶏肉とジャガイモ料理で辛い)に挑戦して、口から火が出ました。太刀魚と太めの大根とキムチの煮つけ鍋もあります。オモニの自信作、お決まりの2人前注文です。

 

食事をしている内に、他のお店が開店していきます。

私は台所用品が好きで、シャモジや、コップ、スッカラ(スプーン)、竹ザル、小鍋など。カミサンは、化粧品やバッグ。

先日結婚した、友人の新婦にステンレス製シャモジをプレゼント、幸せをかっこむように、食事に不足のないようにと。

 

食堂街の東側のビル2階のトイレを借りながら、工芸品を見ます。同じものが美術館や観光地の半値近い時がありました。現地のブランド品でしっかりした皮製品の財布や、おしゃれなエプロンなど値段も手頃で、お土産にしています。

 

スッカラは、高麗時代から李朝時代のものが、今でも骨董店で見つかることがあります。元来、銀製品で毒味用だったのでしょうか。真鍮製から、今はステンレスです。真鍮はさびますので、これを磨くのが主婦のたいへんな仕事だったようです。

 

小鍋は、そのまま食べることのできる大きさです。お椀やお皿に取って口に近づけて食べる習慣ではありませんので、径10cmのものもあるのだと思います。

2010.09.02 

 

<韓国骨董の旅…秋夕>

 

朝鮮半島の旧盆にあたる国民の休日「秋夕」チュソクは、今年は9月21日から23日です。毎年旧暦8月15日に祖先のお墓参りや帰省するため、前後1週間ほど休暇を取られる方もいるようです。

 

何年か前10月初旬に秋夕があった年に、朝鮮半島に関する書物の注文があり、三喜骨董街の知人の店主に事前に問い合わせと依頼をして、伺ったことがありました。

秋夕にかかわらず店主が準備と対応してくれ、なんとか注文に間に合ったものでした。(注文主は、朝鮮通信使の日記や記録がほしかったのですが、なかなか困難。)

元銀行員という店主は、この時は秋夕でお酒が入っていたようでしたが、ソウルに行くたびに訪問し、紙縒りや竹の籃胎漆器や家具、絵ハガキなどを分けていただいておりました。(今は休店中)

 

秋夕でしたが、空港バスはもちろん営業し、観光客のある仁寺洞のレストランなどは開店しておりました。永登浦(ヨンドンホ)のロッテデパートは休みでした。

秋夕の前にお墓参りをすませてしまう方や、故郷からお客さんがソウルに来るケースもあるようです。

南山韓屋村では民謡やサーカスの公演をしており、秋夕ならではのイベントがソウルの各文化財や観光地であるようです。

私は、独特のリズムを持つサーカスの見事な演技に拍手をおくっていました。シーソーや独楽を回して遊ぶ民俗衣装のお子さんたちが、可愛かったです。

 

 

2010.08.31

 

[台北の旅…日程表]

 

今年1月に台北に行った時の事前の計画です。

 

1日目 12:25 台北桃園空港着~龍山寺~国父記念館~台北101観光

          BBQ夕食~ホテル六福(レオフー)※初日観光付き  

2日目  7:30 ホテルで朝食 ※行天宮散歩

     8:30 由化街散策 カラスミ

    10:00 故宮博物院 昼食4階レストラン飲茶

    14:00 淡水散策 MRT電車移動 

    17:00 士林市場 士林名刀

          夕食 好記担仔麺  

3日目  7:00 ホテルで朝食

     8:00 九分ツアー(現地旅行社に申込済) 

    13:〇〇 永康街 刀削麺で昼食 ~ 骨董店巡り

          ホテル周辺市場散策  

4日目  7:00 ホテルで朝食~免税店

    13:25 桃園空港発

 

※故宮博物院に朝9時開館と同時に入館するも、すでに団体客で満杯状態。団体の隙間をねらい、肉形石(角切りの豚肉の形をした玉器)、翠玉白菜(翡翠、緑の葉にコオロギ)をなんとか観賞する。比較的すいていた書画室では、大幅の山水図と対面することができた。青銅器の展示に力点を置いている印象。中国人の団体が多いようだ。新館長さんになり館の修復があり、ゆったりした展示に方法が変わったのかもしれない。

 

由化街は由にシンニュウ、九分は分にニンベンがあります。共にレトロな町並みを散策しました。九分は見晴らしが素晴らしい、山あいのしっとりした雰囲気のある観光地です。お茶をいただき、古い角盆を分けてもらいました。

永康街での刀削麺は手打ち麺と違う初めての感触(舌触り)に台湾を実感。また、骨董店では、昭和初めの印判染付富士図コロ茶碗と木彫丸盆を購入しました。

 

他の骨董街や骨董店、翡翠市場は、時間帯や休日の都合でのぞくことができませんでしたが、淡水の海辺の輝きに感動し、士林名刀に出会えました。1月でも日差しは強いので、帽子は必需です。台北は、ノラ犬がいますのでご注意ください。  

  

2010.08.29

<韓国ソウルの旅…予定表編>

 

先月ソウルに参りました時の、事前に立てた計画です。

 

1日目 12:35 仁川空港着 → 空港バス6015番か6001番で市街地へ

     15:00  ホテル国都(クッド)前で下車

      16:00  風物市場~清渓川周辺散策

     18:00  ロッテホテル北側の焼き肉街で夕食

      21:30  花マッドエステが、ホテル送迎

 

2日目 07:00 散歩~東大門市場で焼き魚定食(サバ、イシモチ定食5000w)

         ~京東市場~ホムプラス東大門

      11:00 地下鉄5号線乙支路4街駅→踏十里駅へ 骨董街長安坪

     13:00 昼食サムゲタン 踏十里

      16:00  東和免税店~明洞

     18:00 仁寺洞で、アサリスープウドン夕食~韓国茶喫茶

      

3日目 07:00 南大門市場で朝食、豆腐チゲ鍋4500w、ノリ巻き~北村散策      

      10:00 東廟周辺

     12:00 冷麺店又来屋で昼食~中部市場

      14:00 ホテルチェックアウト→ホテル前から空港バス乗車

     16:00 仁川空港着

 

※国都ホテルは、地下鉄2号線、3号線、5号線の駅が近く、また南大門、東大門、仁寺洞と等距離にあり便利です。値段は1部屋二人で1泊約12.000円で清潔。部屋に110Ⅴの電源あり、トイレ回りも充実、フロント等は必要十分のサービスです。

 

せっかくの又来屋が休みで、冷麺好きな当方はガックリ。でもケンチャナヨ、お隣りの牛骨スープ店と空港レストランで満足しました。

 

ソウル地下鉄は、出入り口の番号を確認します。ソウル散策には、しっかりした地図を用意しましょう。地下鉄乗車券の購入方法が変わり、当初は戸惑いましたが間もなく慣れます。販売機に、小銭をゆっくり投入しましょう。

 

地下鉄に何回か乗ると乗換移動等で疲れます。その時は、時間節約で安価なタクシーに乗っちゃいます。流しのタクシーを止めるときは、右手をななめ下方にさし出します。タクシーは左から来ます。ソウル人は足代わりにタクシーを使う人も多いようです。相乗りと不法請求は減少していると思います。自転車利用も少しづつ増えているようです。

 

ホテルのドアボーイに頼んでタクシーに乗っても、タクシー運転手は意外と行き先はあいまいのまま走り出します。早のみこみ、それこそケンチャナヨです。北に行くのに、南へ西へと行きます。去年は、大統領府の前でタクシーを呼び止められ、日本人かと検閲されました。行き先の電話番号があると、運転手が電話してくれることが多くなりました。

 

多くの日本人が韓国を訪れますが、日帝時代があったことと、今も準戦時国家であることを忘れてはいけません。 

 

      

   

2010.08.28

 

<韓国ソウル骨董の旅…国立中央博物館>

 

景福宮内にありました朝鮮総督府の荘厳な建物が、かつては国立中央博物館でした私は、1987年に初めて同建物に接しました。運気を妨げる、また日本帝国の象徴として取り壊され、残念ながら今はありません。

同博物館は景福宮内に一時仮移転され、今は米軍があった二村(イッテオンの南方)に開館してます。 

※今は、日帝時代の建物を観光資源などの将来に生かす施策になりました。

 

ソウル市内には省谷美術館や各大学美術館、ソウル歴史博物館、国立民俗博物館等々、多くの美術館や博物館があります。ウリナラ(我が国)意識が高く、入場料も比較的に安価で、子ども連れの観客も多いです。

 

現在の国立中央博物館では、私はどうしても陶磁器を中心に見てしまいます。高麗青磁、李朝白磁などの展示部屋に入いる前からドキドキ緊張します。翡色といわれる高麗青磁透彫香炉、象嵌雲鶴文碗には目を見張ります。

図書販売で、日本語表示の本がいくつかあります。ここのレストランより、街なかの食堂がいいです。タクシーで行く場合は、裏に回ってから入いった方が、エントランスが短いです。タクシー乗り場は、表通りにあります。

 

景福宮に隣接する国立民俗博物館は改装を重ね、お子さんの遠足先と言いますか、内容が薄くなってしまった気がします。ソウル歴史博物館は図録が充実していました。 

次回は、イッテオンのサムソン美術館に行こうと思っています。 

 

 

こんばんは(^-^)

今日も終日暑かったですね★☆★

 

24時間テレビが始まりました。

はるな愛さんがマラソンに挑戦しています(*^_^*)

応援しましょう♪♪

 

先日久楽楽の店舗にお邪魔した時に

店主が韓国の美味しいお茶を入れてくれました。

久楽楽には常に数種類のお茶が在り、

マメな店主はせっせとおもてなしをしてくれます。

今回のお茶は今まで飲んだ中でも群を抜いて

美味しかったです***

美味しいお茶とお茶菓子も久楽楽の

ひとつの魅力ですね(^-^)

定期的に模様替えをしているので

品物の表情も日々変化しているとのこと。

 

韓国日記からも益々目が離せません!

・・・・(^-^)・・・・

 

 

2010.08.26

 

<韓国骨董…言葉編>

 

骨董品を探し求めて歩いております。ハングル言葉は、どうするか。店主が日本語を話してくれれば、ありがたい。でも、なかなかそうもいきません。

覚えておくと便利なハングルは、

 

 アンニョンハシムニカ ← こんにちは

 カムサハムニダ    ← ありがとうございます

 オルマエヨ      ← いくらですか

 カカジュセヨ     ← 少しまけてください

 オヌ シデ コエヨ  ← いつの時代ですか

 コルトンプム     ← 骨董品

 コミスルプム     ← 古美術品

 シルラ        ← 新羅

 コリョ        ← 高麗

 イジョ シデ     ← 李朝時代

 ヒョンデ       ← 現代

 ミンファー      ← 民画

 ソバン        ← 膳

  ヨギロ カジュセヨ  ← ここまで、行ってください。

 ネー         ← はい

 アニヨ        ← いいえ

 

などでしょうか。

李朝時代を、チョソンシデ(朝鮮時代)と言うこともありました。

金額は筆談でやります。店主の数字とコンマがわかりづらいことがありますので、お互いに電卓でのやりとりがいいのかもしれません。  

円とウォンは、時期の両替率により約8~13倍の開きがありますので、留意しましょう。 

 

2010.08.25 

<韓国ソウル骨董の旅…散歩編>

 

ソウルの朝は、散歩で始まります。

景福宮の東側の三清洞から北村一帯や、南山韓屋村公園周辺などを主に散歩します。四季折々に花が咲いて民家の軒下や公園、道路脇を飾り(夏はムクゲ、秋からバラなど)、一方で再開発の早さに目を見張り、驚きと楽しい発見があります。

 

街区や通りごとに印刷所や家具、金具、道具などの作業所や商店街が集まっており、歩きながら韓国の生活文化に触れることができます。

 

仁寺洞界隈路地は複雑です。迷い込んだように、歩くたびに通りに出る所が違います。細くまた角度のある路地に人々が行きかい、所どころに食堂や茶店がある。次に何が現れるのか、何か変化しているか、いつもドキドキです。異空間に飛び込んでいくような体験ができます。

 

また、広蔵市場の屋台群からまっすぐ東へ、登山用品通り、鶏肉鍋通り、焼き魚通り、東大門市場へ抜ける通り道もだんだん細くなり、次々に姿と特徴を変えながら、わくわくする面白い一帯です。

 

北岳山が見えたら北方、ソウルタワーが見えたら南方、清渓川の水は西から東へ流れる、こんなことを確認しながら歩いています。日本と時差はありませんが、日の出と日の入りが1時間遅れますので、朝は損したような夕方は得したような、こんな気分が味わえます。

2010.08.22

 

<韓国ソウル骨董の旅6.>

 

黄鶴洞は、かつてゴッタ煮のような何でもありの町でした。今は復活した清渓川が目の前を流れ、美しい景観を形成する一角に変身しました。ここにあった骨董店が次々と再開発の波に消失し、その一部が風物市場に転居したものと思われます。

 

一軒の骨董店の自宅に誘われました。電話台にしていた小さめのパンダチがあり、無垢の梨の木製で花文様の彫りがありました。これを分けていただきました。貯金箱です。しばらく小物入れとして私自身が楽しんで、今は裁縫道具になっています。

2010.08.23

 

<韓国ソウル仁寺洞の巻> 

以前は、夜の仁寺洞に骨董の露店が出ていました。本通りから中に入いった骨董店が3時間程度、シートを広げて玉石混合を並べて開店して楽しい品揃えでした。今は、なかなか出合えません。昼間の他の露店もなくなり、取り締まりか制約があったのでしょうか。

と、思うと仁寺洞では、思いがけない展示会もあり、絵画、書道、近代美術展、童画展など、やはりここから目が離せません。次の機会に、木人博物館へ行こうと思っています。

 

入り組んだ路地裏の食堂も、韓定食、マンドュ茹で餃子、鍋餃子、チヂミから創作料理と多種多様の韓国の味が豊富です。店によって、またおいしいキムチがたまりませんね。韓国喫茶店の中庭の雰囲気も好きです。

 

私は仁寺洞で韓紙を買って、店の障子に使っています。ちょっと歩いて、常に進展している北村周辺の伝統工芸店や大衆食堂も面白いですよ。

 

<韓国ソウル骨董5.>

 

状態のいいポジャギ(朝鮮風呂敷、袱紗)がなかなか見つかりません。真っ白なもの、紅花の朱色のもの、もち草の若草色のもの、藍染のものがパッチワークで手作りされています。朝鮮半島独特の色合わせで、トライアングル文様や、刺繍のあるもの、女性のさまざまな思いや願いが伝わります。

 

寒い朝鮮半島では、発酵しにくい藍染のものが貴重のようで、この10年間にやっと2点手に入りました。また、鳳凰の文様の刺繍のものを慶州で見つけました。

 

日本の刺繍を研究している北村の刺繍博物館の先生へ、日本の刺繍の図録をプレゼントしました。この先生が保存されている紙製の典雁(紙縒りと漆で作った鳥形)が素晴らしいです。

 

<韓国骨董の旅4.>

 

地下鉄でイッテオンの朝鮮家具専門店まで。

展示販売と時代劇テレビへ貸出しています。ソウルから車で日本に買い出しに来るという店主に、榎本武揚の色紙を見せられました。幕末にその才能で幕府方ながら惜しまれ、明治政府で文部大臣になった人物です。

木彫の金庫を購入しました。日本で言うと、銭箱でしょうか。座りに多少ガタつきがありましたが、そのガタを直してみました。李朝陶磁器を上に置くとよい雰囲気で、店に飾り一人満足しています。

<ソウル骨董の旅3.>

 

東廟界隈(地下鉄東大門の東の駅)で、古本屋をのぞきます。図録(画家青田氏)をさがしてうろうろ。ドロボウ市場の雰囲気を残す地域で、いろんな人がたむろしています。そして東廟をお参りしてから、近所の骨董店を回ります。

間口は狭くても中は広い。石の香炉の値段が高価でカッカジュセヨが言えません。小さめの手ごろなゴマ櫃がありましたが、それでも持ち帰りを考えると手が出ません。梱包の用意をしてから、次の機会に郵便局から送りたいと思います。

東大門から歩いて、駄菓子とおもちゃ通りを抜けて東廟へ行くことができます。

 

 

夢の国
夢の国

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010.8.18

 

こんばんは♪

 

店主が楽古斉に行かれた方の感想を

UPしてくれました(^-^)

益々行ってみたくなります。

 

今日は夕方から関東では雷が発生しました**

写真好きな店主から久楽楽の店内から撮ったと思われる

雷雲の写真が送られてきたのですが

その直後にピカピカゴロリ~*と

家の近所の空が荒れ始め、とても不気味でした(~o~)

店主の念を感じました

 

少し夜は肌寒くなってきた気がします、、、

が、まだまだ熱中症には注意が必要ですね(>_<) 

 

 

 

2010.8.18(水)

 

楽古斎に行ってきました。(日本から電話で予約できました。)

東京にいる娘とソウル金浦空港で待ち合わせし、一泊目はロッテホテル、そして二泊目は楽古斎でした。

日本語の話せるオモニの案内で、オンドルのぬくもりのある部屋に入るなり娘は横になり一休み。雨模様でしたが、雰囲気のある中庭を観賞しながら縁側でしっとり空間をエンジョイしました。

近くの仁寺洞で韓定食を楽しみ、ブラブラ。

ふだん離れて暮らす娘と有意義な時間を過ごせました。(札幌ママ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2010.8.16(月) 

こんばんは(^-^)

店主が韓国買い付け作業の記事をUPしてくれました!!

韓国マニアと言っても過言ではない久楽楽の店主は

面白いスポットをいろいろ知っているようです

 

皆様も韓国のことで質問等ありましたら

店主まで御相談下さい♪ 

 

さて、今日は次回韓国に行く機会があったら

ぜひ宿泊してみたい所をご紹介させてください♪♪

 

ソウル市内にある

『楽古斉』という体験型民宿の宿です!!

↑らっこじぇ と読むそうです

 

お友達に紹介していただいたのですが

昔ながらの韓国の生活を体験できる

民宿なのだそうですが・・・

HPを見てとても綺麗な空間に惹きこまれました(*^。^*)

アドレスを貼りますのでチェックしてみてください♪

→→ http://rkj.co.kr/ ←←

 

キムチ作りも出来るそうですよww

 

次回は是非『楽古斉』へ訪れたいと思います!!

家族で行きたいですね(*^^)v

 

  2010.8.14

 

<韓国ソウル骨董の旅1>

 

ソウル骨董街長安坪に地下鉄で行きました。出口を間違え、あれっ景色が違うよ。反対側に出てしまい、迷子状態に。親切な若者があきれ顔で、電話で調べてくれカムサハムニダ。

お昼は、地元のサムゲタン店が満杯。夏はサムゲタンにかぎるだ。牛の膝関節スープ、アサリウドンもマシッソヨ。

 

国都ホテルからタクシーで風流市場へ。正面ステージでやってるはずのイベントが終わっていた。残念です。ソウル市観光局が力を入れる風流市場は、だんだん面白くなると思う。一回だけカッカジュセヨ言ってみました。

 

朝の散歩に北村へ。タクシーでベトナム大使館前下車。韓屋の間から見えるソウルタワーが美しい。

 

 (追)中国磁州窯の馬上杯のカケ修理依頼あり。軟陶のため本体が傷つきやすそうで、難儀しております。 ⇒無事、銀直ししました。人の商品なので気を使います。

 

 <韓国ソウル骨董の旅2>

 

長安坪の目当ての骨董店が休みでしたが、骨董ビル2階の女性店主に誘い込まれました。店内は広くゆったり、気持が晴れていくようなディスプレーです。思わず手が出てしまいそうな品揃えでした。

 

北村で最近オープンした東洋文化博物館があります。韓屋を改装し、2階のテラスで休憩もできます。ちょっと下の景色を見渡しながら、朝鮮家具に囲まれ李朝時代に浸ってみませんか。

韓尚珠刺繍博物館の刺繍国宝の先生や、民画の嘉会博物館の女性の懇切丁寧な解説もありがたいです。朝鮮半島文化の一端に触れることができます。

 

時間がありましたので、黄鶴洞のEマートで買い物です。好物のエゴマの葉の漬物、山イチゴ茶、ノリ、夜食のパンなどをダンボールに詰め込みました。 

 

 

 

 

2010.07.15

 

 皆様こんにちは(^-^)

骨董 久楽楽 の日記を読んでくださり  

ありがとうございます。  

宇都宮で骨董の店を初めて  

早5年が経ちました。

 

来店されたお客様が  

少しでもホッッ♪とできる  

そんなお店を目指して  

日々改良中です。。。

 

 

写真は那須でいただいた  

ハンバーグ(*^^)  

お店の名前をチェックするのを  

忘れてしまいましたが、、  

とてもおいしかったので  

写真を載せてみました。

 

雨が続く毎日ですが  

気持ちはピーカンの久楽楽店主でした(^-^)

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